【街景寸考】自家用車のこと

 Date:2021年09月29日09時14分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 中学生の頃、俳優・森繁久彌が社長に扮した映画「社長漫遊記」を観たことがある。この映画の中で社長の娘役の中真千子(元宝ジェンヌ)が、友だちと連れ立って箱根へドライブに行くというシーンがあった。富士山が見える箱根の山々を背に、青空の下で真っ赤なオープンカーが颯爽と走る光景をうっとりしながら観たものだ。

 この映画でわたしは、車というのはバスや汽車よりも短時間で用事を済ますことができる便利な乗り物というだけでなく、遠乗りを楽しむレジャーの対象になることも知った。以降、大人になったら是非ドライブをしてみたいという気持ちを持ち続けた。一方で、将来頑張って働いても車を持つことができる身分になれそうにないようにも思えた。

 ところが経済成長のお陰もあって、ついにわたしでも車を買うことができた。家族を持ってからのことだ。中古の白色のフォルクスワーゲンだった。外車の販売会社に勤務する知人から50万円で譲り受けたものだった。好みの色を選べなかったことに多少の戸惑いはあったが、それほど不満には思わなかった。

 学生時代にアルバイトで運転した場合とは違い、何時でも何処へでも自由に乗り回すことができるという喜びがあった。子どもたちも喜んだ。まだ3歳だった三男はワーゲンのことを「ワークン、ワークン」と、「クン」のところで息を鼻から吐いていた。旧型のワーゲンだったので、座席の座り心地はあまり良くなかった。エアコンの装備もなかったが、走行中だったら三角窓を操作していくらでも車内に風を取り込むことができた。

 真夏の日曜日に家族でワーゲンに乗って出かけたときのこと。5歳の次男が反対車線を走る車を見ながら、「おとうさん、こげん暑いとに何でみんな(車の)窓を閉めとうと?」と不思議そうに訊いてきたことがあった。エアコンのことを説明するのが面倒だったわたしは、「ホントだ、暑いのにバカやないかねぇ?」と答えた。見栄も幾分あった。この言葉を次男がどう解釈したのかは知らない。
 我が家はこれまで6台ほど車を買い換えてきた。いずれも中古車ばかりだ。資力がなかったということもあるが、それ以上に雑な運転をする自分のことが不安だったので新車を買う気になれずにきた。性分的にハンドルとアクセルとブレーキが付いていれば、どんな車でもよかった。メーカーや型式に興味はなく、こだわってきたのは色調くらいである。

 現在、ハイブリット車やようやく出始めた電気自動車の時代を越え、一気に自動運転車の時代を迎えようとしている感がある。何でも2030年までには完全自動運転を標準とする社会を目指しているようなので驚く。

 実際にその時代がくれば、交通事故もあおり運転も今よりはずっと少なくなるのだろう。ただし、自らが操作するという楽しみどうなるのだろうと思った。野球の試合の帰途、運転の役割を任した友人に「疲れているのに運転させて悪いな」と気遣ったら、「助手席にいると疲れるけど、運転しとったら疲れんとよ」と言っている言葉を聞いて、そう思った。 

 自動運転車の功罪相半ばする問題点の一つになるのかもしれない。