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【街景寸考】命のこと
Date:2021年11月03日19時05分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
爽やかな目覚めの秋の朝、リビングルームのドアを開けて入ってきたわたしに、「今、蟻がみんなで餌を運んでいるので、足元に気を付けて」とカミさんがいきなり声をかけてきた。
顔を自分の足元に下げると、何やら黒い塊が目に入ってきた。よく見てみると、数十匹の蟻が一粒のキャットフードにまとわりついている塊だった。
その塊は飼い猫・次郎の餌入れから2mほど離れていたので、小さな蟻たちが協働してその距離を運んできたことを知った。驚いたわたしは更にじっと目を凝らすと、南側のベランダに通じるサッシの方向へ少しずつ移動しているのが見て取れた。
その光景を俯瞰して見ると、その塊の前後に同じくらいの間隔で十数匹の蟻が小さな集団になって右往左往していた。その光景は、全体の一部を構成しながらそれぞれの部署で何かの役割を負っているように思えた。見ようによっては、博多山笠の舁き山と同じ構図のように思えなくもなかった。
その一粒の物体を担いでいる30匹ほどの蟻たちが舁(か)き手なら、その前で動く小集団の蟻たちは舁き山が通ることを知らせる「前さばき」であり、後から追ってくる小集団が舁き手の交代要員としての「後走り」の役を担っているように見えたのだ。
この塊がどの程度の速さで進んでいるのか興味が湧き、しばらく目で追ってみた。すると、何と10分足らずで50cmほども進んだのである。蟻を人間に例えるなら、大型トラックを30人ほどの人力で運んでいるに等しい剛力になる。
この後更に驚いた。サッシと接する柱まで来ると、今度は何とその柱を垂直に登り始めたのである。驚嘆に値する光景である。ある程度の高さまで来ると、このまま進んでも目的地に辿り着けないことを察したのか、途中で降下し始め、その後は上昇や降下をしばらく繰り返した後、結局はサッシの溝にその物体をほったらかしたまま姿を消していた。
この一連の動きを見ながら、わたしは蟻も人間も同じ命の価値を持つ生き物であることを改めて感じることができた。同時に、蟻たちの組織立った行動が、何か神聖な意思に遠隔操作されているような思いもした。カミさんがわたしに「足元に気を付けて」と注意を促したのは、あらゆる生き物に対する尊厳や命の価値を思ってのことだったのだろう。
これまでのわたしは、家に侵入してきた蟻が1匹でも目に入ると躊躇なく指先で潰してしまう類の人間だった。そのわたしが、今朝のリビングで一丸となって働く蟻たちの光景を見たことで、心の中で少しだけ変化が起こっていた。それは、同じ生き物としての共感や愛おしさを思う感覚に近づけたのではないかという変化だった。
2mmにも満たない小さな蟻の命も、飛行機から眼下を眺めると蟻よりも小さく見える人間の命も、変わりない同じ命であることを再認識できたという嬉しさがあった。
命がいかに神秘的であるかを教えてくれた言葉がある。「人間がいくら進歩したからといっても、未だハエ1匹作れないではないか」である。養老孟司先生の言葉だ。