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【街景寸考】「人さらいが来るよ!」
Date:2021年11月10日18時04分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
幼い頃、薄暗くなるまで外で遊んでいると、迎えに来た祖母から「早よぉ家に帰らんか」と大きな声で叱られていた。それでも遊びを止めようとしなかったら、一段と怖い顔になって「人さらいが来て、サーカスに売られてしまうぞ!」と叫ばれることもあった。
「人さらい」という声が聞こえてくると、不安や得体のしれない恐怖を覚えていた。暗闇で子どもを探し回っている、黒い影の大人たちの姿が浮かんできたからだ。ただ、「サーカスに売られるよ」という言葉は怖くはなかった。わたしが知っているサーカスは、ワクワクする曲芸を見せてくれる楽しい見世物のことだったからである。
祖母は他にも「そんなことをしたらバチが当たるよ」と言ってわたしを叱ることがあった。食事中に外へ遊びに行こうとしたときや、仏壇に供えている食べ物をつまんだりしたときなどだ。ところが、そんな悪さを何度繰り返しても、災いが起きたことが一度もなかったので、子ども心にただの脅し文句でしかないと思うようになっていた。
ところが、「そんなことをしたらチンチンが腫れるよ」という場合の叱責は、バツが具体的に想像できただけに不安な気持ちにさせられていた。側溝にいるミミズや墓石に小便をかけたことが知られたときなどに、この言葉で叱責されていた。この言葉を聞くと、ただの脅しだと高をくくることができず、下半身にただならぬ恐怖を感じることもあった。
それでも中学生くらいになると、この「チンチンが腫れる」というバツが、やはりただの脅しだったことを確信するようになった。一度も腫れたことがなかったからだ。バチとは罰のことであり、神仏から受ける罰が天罰であるということを知ったのもこの頃だった。
そんな悪ガキ時代を過ごしてきたわたしだったが、大人になってからは幸い社会人として何とか通用するような人間になっていた。運もあったが、祖母から受けた叱責や躾けが多分に影響していたのは間違いない。
諸外国での道徳心は、キリスト教やイスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教、仏教など、主に宗教による教えが土台になっている。日本人の場合はどうか。寺や神社が身近なものとして関わり合ってはいるが、仏教や神道の教えに導かれてきたという実感は少しもない。それでも、礼儀正しさや誠実さ、思いやりなどの道徳心が世界でも高く評価されていることに、ある意味不可思議な現象であると言えなくもない。
先達ての秋分の日、カミさんと連れ立って墓参りに行ってきた。墓参りに行くのは宗教心からではない。先祖に感謝したいという気持ちからであり、改めて感謝をする場所が仏壇や墓前であるというのがわたしの考え方だ。
墓前に手を合わせるとき、雑念が取り払われて澄んだ心になり、同時に先祖から引き継がれてきた精神や道徳心を感じることもある。かつてアインシュタインは日本人のことを、「謙虚で、知的で、思いやりがあって、責任感がある民族だ」と絶賛していた。
昨今、そうした日本人が減ってきたように思えて悲しく、残念に思う。