【街景寸考】正直と嘘に必要なもの

 Date:2022年04月27日09時45分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 「正直であれ」というのは道徳の基本的な心構えの一つだ。会津若松藩の藩士の子弟の間で作られていた什(じゅう)の掟にも、「嘘を言うことはなりませぬ」という言葉を掲げている。正直であれば周りから信頼が得られ、嘘をつけば周りから背を向けられるということを教える教訓である。

 一方、「正直者は馬鹿をみる」という言葉がある。「要領が悪くて馬鹿正直だったため、損をすることになった」というのが典型例だ。馬鹿正直というのは、他人に迷惑をかける行為ではないので、「たとえ馬鹿をみても、自分は正直でありたい」という道を選ぶ人がいれば、それはそれで尊重すべきであり、他人が口を挟むべきことではない。
ところが、正直を通すことで他人の心を傷つけたり、物事を円滑に進めることができなくなったりすることもある。「自分は正直を通しただけであり、なぜ正直が悪い」と開き直るという例がなくもないが、この場合の正直には義がなく、自分が満足するだけの浅はかな行為だとしか言えない。

 つまり、正直は常に義に即したものでなければならず、義に即していない正直はもはや正直という言葉の範疇から外れたものだと言えなくもない。言い換えれば、正直という言葉が成り立つには、そこに誠実な心がなければならないということだ。

 同様に「嘘も方便」という言葉にも誠実さがなければならない。つまり、方便に誠実さが伴っていれば、多少の嘘も許されてよいということだ。もっと大胆に言えば、大きな善行の前では嘘を言っても構わないという解釈にもなる。あくまで、「嘘も方便」が成り立つには、自分の欲得のためではなく、他人を思いやる心がなければならない。

 まとめて言えば、正直を通す場合も嘘を言う場合も私利私欲をまじえず、真心をもって他人や物事に相対することが前提になければならないということだ。

 ところで現在、ロシア軍のウクライナ侵攻が続く中、わたしたち日本人はテレビ報道などでロシア軍の残虐非道な戦争犯罪が行われていることを知らされている。ところが、ロシア側は国連の席上においても自国の国営テレビにおいてもこの戦争犯罪を否定し、「欧米諸国によるフェイクニュースだ」と言い続けている。

 西側の一国民であるわたしも、西側よりの報道を「100%信じてよいのか」という思いはなくはないが、少なくとも日本の報道機関が伝える情報にフェイクニュースが混じっているように思うことはできない。ロシア側の「フェイクだ」という妄言は、自国民を騙して政権を維持するための悪意あるプロパガンダだと断言していい。

 今、その政権も情報統制に綻びが生じているのか、若者を中心に反戦活動が展開され、ロシア軍の非道な戦争犯罪も知られるようになってきた。約30万人もの優秀なロシアの若者たちが自国から離れているという報道もあった。

 国民に対して誠実さを持たない政権は、いずれ内部から崩壊していく運命にある。