【街景寸考】「何とかなるさ」人生に喝!

 Date:2023年04月24日17時20分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 わたしの場合、良いか悪いかは別として、様々な事態や局面において選択する際、大抵は十分に考えることなく、「何とかなるさ」というノリで判断してきた。

 通常、「何とかなるさ」という思いで行動する人の多くは、実はそれなりの自信と裏付けを持ってのことなのだろうが、わたしの場合は単に気合いを入れるだけの、いわゆる空(から)元気みたいなものでしかなかった。

 特に若い頃はそうだった。だから次の一歩を踏み出すときも場当たり的になり、当然ながら何とかならずに失敗や後悔の経験をたくさんしてきた。「何とかなるさ」という安易な性分と、一時しのぎの「場当たり的」な行動をセットにした人間だったように思う。
 
 若い頃は誰だって失敗や後悔をするものだが、大抵の人はその時点で反省や学習をして、再び繰り返さないよう自戒するのが常だ。ところが、わたしの場合は反省や学習をろくにすることなく、やっぱり「何とかなるさ」の気分で遣り過ごし、懲りずに「場当たり的」な行動を繰り返してきた。

「何とかなるさ」と「場当たり的」で過ごしてきたわたしではあったが、将来やってみたいと思っていた夢があった。それは記事を書くという仕事だ。小学3年生の頃、当時放映されていたNHKのテレビドラマ「事件記者」の影響だった。スクープを求めて取材活動を繰り広げる記者の仕事に憧れたのである。ところが、この思いも漠然とした域を超えることがないまま、具体的な目標を持たずに漫然と大学までの時代を過ごしただけだった。

 特に大学時代は、そんな自分に直視することを避け、小説の世界にうつつを抜かしていた。その一方で、心のどこかに小手先ではあっても何とか動いていれば何とかなるかもしれないという楽観的だが、信念みたいなものがあった。動かなければ何の変化もなく、運に出会うこともないという考え方だった。唯一ポジティブなわたしの部分だった。

 実際、わたしはじっとしてはいなかった。何の計画もなく突然その日に旅に出たり、明日の生活費がなければ躊躇なくスポーツ紙の求人欄を見てトラックの運転手や餃子屋のアルバイト店員をして食いつなぎ、ある時は吹けば飛ぶような小さな出版社や雑誌社に興味本位で転がり込み、見よう見まねで取材の仕方や記事の書き方を覚えてきた。

 これが良かった。何とか運に引っかかった。頼りない命綱ではあったが、知らぬ間に太くなってきた。大新聞社の記者にはなれなかったが、毎日文章を書くような仕事に就くことができた。この間、家庭を持ち、4人の子どもたちを何とか育て上げることができた。

 思えば、自転車を漕ぐようにして踏み込み、だからといって常に漕ぎ続けるでもなく、止まりそうになったらまた少し漕ぐというような人生を繰り返してきた。反省や学習をしてきたわけではなかったが、たまたま運が良かっただけの人生になった。「事件記者」のお陰であり、家族をはじめ周りの方々のお陰でもある。

 とは言え、この期に及んでちゃんと目標を立て、そこに向かって日々精進するという生き方ができなかった自分には、やはり喝!である。