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Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
春の陽気に誘われてのことなのだろう、カミさんが軽いノリで唱歌「花」を口ずさんでいた。滝廉太郎作曲の「♪春のうららの 隅田川」で始まる誰もが知っているアノ歌である。
その「花」の三番の歌詞に「♪錦おりなす ちょうていに」というのがある。恥ずかしながら、わたしはこの歳になるまで「ちょうてい」の意味が分からずにいた。「ちょうてい」という発音を聞いて浮かぶのは「朝廷」と「調停」くらいだった。
このことを傍にいたカミさんに訊いてみた。それがいけなかった。案の定「ええっ!」と大袈裟に声を上げたかと思うと、「そんなことも知らなかったの!」と言い返してきた。いかにも鬼の首を取ったかのような形相である。
「『ちょうてい』というのは、長い堤と書いて『長堤』って言うのよ」。つまり、長く連なった堤防(ていぼう)のことだったのだ。「ちょうてい」が「長堤」のことだと分かるや、この歌詞から春の花咲く堤防(ていぼう)沿いの光景が即座に浮かんできた。
カミさんの説明で「ちょうてい」の意味は理解できたが、「長堤」という言葉を使って誰かが話しているのを聞いたことはなかった。おそらく明治から昭和初期の辺りで詩か小説に用いられていた文学的な表現だったのかもしれない。思えば、この時代の童謡や唱歌は、当然ながら文語体で作られた歌がたくさんある。戦後に生まれ、ましてや無教養に育った小中学生時代のわたしには理解できない言葉があって当然だった。
唱歌「ふるさと」の「♪うさぎおいし かのやま」もそうだった。高校生の頃までは「おいし」の部分を、「美味しい」という意味だと思っていた。そう思っていたので、歌詞の冒頭からいきなり可愛いウサギを食べて、「美味しい」と歌うような唱歌に抵抗感を抱いていたこともあった。
もっとも、後年「おいし」が「追いし」という意味であることを知ることができても、炭坑の長屋住まいに生まれ育ったわたしには、ウサギを追った後は捕まえてどうせ食べることになるであろう村人の生活が想像できなかったので、「追いし」も「美味しい」も同じ意味合いでしかないではないかと思っていた。
歌詞が理解できなかったのは、「仰ぐば尊し」の中にある「♪おもえば いととし」の「いととし」も、「われは海の子」の「♪煙たなびく とまやこそ」の「とまやこそ」もそうだった。文語体には現代文にない深い情緒を味わうことができるが、それが理解できるようになったのはずっと先のことである。
昨今、わたしは当時の先生方を恨めしく思うようになった。オルガンで伴奏を弾く前に、どうして少しの時間を割いてでも好きな歌の歌詞を、口語で分かりやすく説明してくれなかったのだろうかと。
そうしていれば、子どもなりに昔の美しい日本の情景を想像できたかもしれないし、日本人特有の細やかな情感を身につける教材になったかもしれないのだ。何よりも、童謡や唱歌を歌うのがもっともっと楽しくなっていたに違いない。