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街景寸考「友人代表スピーチ」のこと
Date:2023年05月16日11時14分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
結婚披露宴の式次第には「友人代表スピーチ」の項目が大抵ある。わたしはそのスピーチの場面を何度も見てきたが、残念なことに毎回不愉快な思いをさせられてきた。
不愉快な思いというのは、会場内がワイワイと騒がしく、大半の参列者がスピーチの方に耳を傾けるような状態になっていないという非礼に対してである。
本来なら、新郎や新婦と特に親しくしてきた友人のスピーチなので、ユーモアを交えたエピソードや意外な裏話が披露され、参列者の多くの笑いを誘うような場面になってよいところである。ところが、ほとんどの場合そうはならない。式次第が進み、友人代表スピーチが行われる頃には開宴当初の張りつめていた空気がすっかりほぐれ、会場全体がざわめいた状態にあるからだ。
これが2、30人程度の披露宴であれば、友人代表のスピーチを静かに聴こうとする空気を取り戻せるのだが、100人を超える規模になると司会者からスピーチの紹介が伝えられても、それまでのざわめきは残念ながらおさまらない。
そうかといって、せっかくの食事や歓談を一時的にやめてもらうようなお願いはとてもできるものではない。友人代表がマイクを通して直接「今から新郎(新婦)の過去をここでむき出しにしてみせますので、詮索好きの方は耳をそばだてて下さい」というような言葉を大声で言えばききめがあるのだろうが、こういうタイプは滅多にいない。
普通の人にとって披露宴でのスピーチは人生の一大事に値するものであり、それを託されてから当日のスピーチを終えるまでの精神的・肉体的な「労」は相当なものだと思う。ところが、その「労」は前出のとおり多くは報われることはない。というか、大抵は屈辱的な思いをさせられている。
そんな光景を見るたびに、わたしはマイクを持った若者にいたたまれない気持ちになり、せめてねぎらいと同情の拍手を心から捧げるようにしてきた。
そこでわたしはこう思う。料理やアルコールでざわめいた歓談が進む前あたりの、例えばケーキ入刀からそれほど経っていない機会を捉えて友人代表のスピーチを入れるようにしたらどうか。
あるいは余興を行う時間帯に、友人たちと歌ったり踊ったりして参列者の目を惹きつけておいてスピーチを入れ込むというのはどうか。大舞台での余興とスピーチとでは、それに臨むプレッシャーは大きな差があるように思う。それだったら、友人たちが何人も登場できる余興の中でスピーチを入れるのも一案だ。
友人代表スピーチの面白さは、新郎や新婦の素の人間性や学生時代の突飛な、あるいは奇怪な行動などを聴くことができるところだ。仲人や主賓客などの堅苦しいスピーチよりも耳を傾ける価値がある。そんな価値あるスピーチが無残にざわめきの渦にかき消されてしまうのは、実にもったいない。
この点、結婚式場側や主催者側に配慮を切にお願いするところである。