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街景寸考「明治は遠くなりにけり」のこと
Date:2023年05月26日17時16分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
「明治は遠くなりにけり」という言葉がある。この言葉は、明治生まれの年寄りが明治の世を懐かしむときに使っていた慣用句のようなものだと思っていた。ところがこの言葉は5・7・5で構成された俳句の一部であったことを、恥ずかしながら最近知った。
「降る雪や」というのが初句で、「明治は遠く」が二句、「なりにけり」を結句とする俳句だ。雪が降る中ではしゃぎ回る子らの姿を目で追いながら、作者は子どもだった明治の頃の自分を重ねて懐かしんでいる。
昭和の時代に生まれ育ったわたしも平成、令和と移り行く中で、「昭和は遠くなりにけり」という心境になってきた。実際、日常の中で目にした光景が、子どもの頃の記憶と重なったとき、昭和の頃の幼い日々が浮かんできて懐かしい思いをすることが多くなった。
もっとも、「昭和の時代」と一言で表現したが、昭和という時代を何かの共通項で一括りにするようなことはわたしにはできないと思ってきた。なぜなら戦前・戦中の昭和と戦後の昭和とでは明らかに異なった時代性を帯びているからだ。
昭和初期は関東大震災による傷跡が背景となって経済恐慌が起こり、日本全体が貧困を抱え込んでの幕開けとなった。以後も失業者は増加し、更に農村は貧窮するなど閉塞感の漂う社会となり、こうした中で次第に軍部が権力を握って国民の言動を統制し、ついには日中戦争、太平洋戦争へと突き進んで自滅したというのが戦前・戦中の昭和だった。
わたしが生まれたのは終戦から4年後の昭和24年である。終戦直後の食糧難などで経済や社会が混乱していたこの時期のことは知らないが、物心のついた4歳、5歳頃の周りの空気感は微かに記憶している。人々の暮らしは質素ではあったが活気に満ち、先には豊かで明るい社会がやってくることを確信しているかのようだった。
実際、日本はその確信どおりに発展してきた。白黒テレビに続いて洗濯機、炊飯器、冷蔵庫、ガスコンロ等が普及し、中学3年生の頃には東京オリンピックの開幕に合わせてカラーテレビも登場してきた。電話も職場だけでなく各家庭にも設置されるようになり、学生時代になると驚くことに一般家庭でも自家用車を所有できるようになった。
高度経済成長期を経てバブル経済まで続いた景気に引きずられるように、我が家でさえ中流家庭としての体裁を表向きには保つことができた。以上がわたしの抱いている戦後昭和の印象である。
ところが平成に入ってバブル経済が崩壊してからは、希望が持てるような日本ではなくなってきた。令和の現在、IТやAIを代表する科学技術は急速に進歩しているが、戦後昭和で抱いていた夢や希望を少しも感じることができないでいる。
むしろ、国民の幸福度は低くなってきているように思える。下流層の急増、軍事費の大幅増額、自民党の独裁政治、大量の国債発行などの報道を見るにつけ、ここにきてまた閉塞感が漂っていたという戦前昭和の時代に似てきているのではないかと不安に思う。
だからなのか、戦後昭和の人々が暮らしていた光景が余計に懐かしい。