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【街景寸考】「死ぬまで生きればいい」
Date:2023年09月11日16時38分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
幼い頃、縫い物をしようとしている祖母から、針に糸を通してほしいと頼まれることがときどきあった。その際、祖母は針穴に糸を通しやすいように舐めて端っこを尖らせてから、わたしに渡していた。
「目が薄くなった」と嘆く祖母のそばで、わたしはあっという間に針に糸を通してみせた。
針穴は実際よりも大きく見えていたように思う。わたしは針穴に何の抵抗も感じることなくあっという間に糸を通していた。
そのたびに祖母は口をすぼめ、目を丸くして驚きの表情をしていた。
祖母は硬めの食べ物も苦手にしていた。干して石のように硬くなったカキ餅を七輪で焼き、ガリガリと音を立てながら食べているわたしを見て、「よおーそんな硬いもんを食べとるわ」と祖母はいかにも歯が痛そうな素ぶりをしてみせた。
幼かったわたしは、祖母のこうした眼や歯の衰えを理解することができなかった。だから、こんなにはっきりと見える針穴になぜ糸を通すことができないのだろう、なぜ美味しいカキ餅や豆菓子などが嫌いなんだろうと、不思議に思っていた。
そのわたしが祖母と同じような年齢になった今、祖母に対して不思議に思っていた当時の事情が次々と分かるようになってきた。白内障の症状が進み、目の前の景色が段々霞んで見えるようになった頃からだったか。恐らく、わたしもすでに針穴に糸を通すことができなくなっているはずだ。
歯も衰えてきた。入れ歯はなくほとんど自分の歯ではあるが、歯茎に力がなくなってきた。硬いカキ餅はもちろん、好きだったナッツ類も噛む前から怖気づくようになり、口に入れてもゆっくり繰り返し噛んでからしか食べられないようになった。
老化を実感していることはまだまだある。布団の上でよく躓くようになったし、厚さ1、2ミリしかないカーペットに躓き、たびたびつんのめるようになった。小便も近くなった。
特に冬の夜中は何度もベットとトイレを往復しなければならないようになった。意図せず勝手に放たれる屁が増えてきた。
こうは言いながら、実はそれほど自虐的になっているわけではない。眼や歯、足腰、更には記憶力などの老化が進んでいく状況に、むしろ興味を抱きながらそうした状況に浸ろうとしている自分がいる。これは、老化の先にある死を自然に受け入れていこうとするしなやかな精神の営みによるのかもしれない。
以前は自分の死を迎えるにあたって、「悔いのないように」「悟りに近い境地で」と考え、そのためにはどういう生活を積み重ねていけばよいのかと思い悩んでいたが、あるとき「老化に寄り添えばいい」と思うようになって吹っ切ることができた。
心病むことなくこの思いを持ち続けることができれば、死は大そうな出来事ではなく、日常の延長として捉えることができるのかもしれない。死を前にして特別に身構えることなく、「死ぬまで生きればいい」という思いで淡々と日常を平穏に生きて行きたい。