【街景寸考】カミさんの買物は長すぎる

 Date:2012年11月01日09時17分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
  カミさんは車の免許を持たないので、土曜日か日曜日には必ず運転手として買物に付き合わされる。運転ぐらいなら負担のうちに入らないが、ショッピングカートを押して回る役割は辛いものがある。買物時間が長すぎるからだ。カミさんの買物の要領は、どうも他の奥さんたちのそれとはだいぶ違うようだ。


 例えば、大根1本選ぶのに5分はかかる。少しでも大きい大根を選び抜こうとする気持ちは分るが、1本1本手に持ち替えては、目見当で重さの違いを念入りに測ろうとする。一通り持てばどれが一番重いかぐらい分りそうなものであるが、再度、再々度と持ち直しては首を傾げる(こっちが首を傾げたい気分である)。
 漸く2本に絞ったところまでくると、「お父さん、これどっちが重いかな?」と声がかかる。どっちでも構わないという素振りを見せると機嫌を損ねるので、適当に「こっち」と答える。ここはおもしろいところだが、この亭主のいい加減な判断でも、だいたい従ってくれる。


 で、特に生鮮食品を手にして選ぶ場合に、この傾向が強い。こういう調子で進むから、買物に費やされる時間がどれだけ長くなるか想像していただけると思う。尋常ではない。


 おかしな点はまだある。優先して買っているのは普段より価格の安い「広告の品」だということだ。つまり、計画経済を念頭においた買物ではないのだ。「広告の品」であれば必要でない物まで買っているように見える。かといって衝動買いもないではない。買い方に合理性が全く見られない。


 梨や葡萄が置いてあるコーナーに来たときは、お決まりの規則性がある。それは、買おうか買うまいかを迷っている場合には、必ずといっていいほど買わない。反対に、今日は買う気だなというときは、「お父さん、これ欲しい?」と来る。そんな気持ちを見越して、「あぁ」と相槌を打てば必ず買うことになる。自分から「これ食べたい」とは決して言わない。「亭主が欲しがっているから買う」という流れを必ず作る。


 こんな具合にして長い買物が続いて行く。買物の後半になると、食材等で積み重なったカートを無言で押す自分が哀れに思うことがある。その姿は、苦労してきた割には出世ができなかった老丁稚のように見えなくもない。


 まあ、そうは言っても、何十年も安月給の我が家が安泰であったということは、こうしたカミさんの買物癖のお陰であるのかも知れない。そう思えば、この苦手な二人三脚での買い物も何とか許容できるということか。