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【街景寸考】床屋で観た月光仮面
Date:2012年11月08日10時04分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
私が小学校低学年のころのヒーローと言えば月光仮面である。昭和30年代前半のころだ。少年漫画に連載されていたのが一躍人気を集め、まだ普及し始めたばかりのテレビにも登場するようになった。直に映画にもなった。
頭部にはターバンを巻き、目にはサングラス、背中に大きなマントを靡かせて登場した。上から下まですべて白ずくめだった。白いバイクに乗って颯爽と現れ、悪者を退治した。
テレビでは日曜日の夕方に放映していたと記憶している。否、土曜日だったか。当時、テレビのある家庭はほとんどなく、私たちの町内では、まだ床屋だけにしかなかった。床屋だから街頭テレビのようにオープンに観ることができず、散髪する客用に観てもらうためのものらしかった。
私たち坊主頭の子供は、家のバリカンで間に合せていたので、床屋に来ることはほとんどなかった。だから、床屋の外からガラス越しに観るしかなかった。外にいるから音や声ははっきり聞こえてこなかったが、月光仮面が画面に映っているのが観えるだけで、十分満足だった。
一度くらいだったか、床屋の客となって観に行ったことがあった。当然だが、このときは月光仮面を床屋の中で見ることができるのだ。拳銃の音も月光仮面の声も聞くことができた。散髪用の肘掛椅子にふんぞり返って観ることができるのが嬉しかった。
散髪用の大きな鏡の中には、少年たちの真剣に見入る熱い眼差しが見える。その光景を俯瞰すれば、まるで自分が大勢の子分どもを従えて月光仮面を観にきたように見えなくもなかった。特に、年上のガキ大将をその鏡の中に見つけたときなどは、この上なく痛快な気分になった。
その月光仮面への熱い思いも、学年が上がるにつれて冷めていくことになる。理屈で物を見るようになってきたせいだ。例えば、大きな白いマントは、敵を懲らしめるにはさぞかし動きにくかろうに、何故かとか、サングラスは暗闇で戦うには敵の動きが見にくかろうに、何故かとかである。
まだある。スーパーマンなら超人だからという理由で、体ごと空を飛んでも許せたが、道路もないのにオートバに乗ったまま空を飛ぶ光景は、受け入れることができなくなった。嘘でもいいから科学的根拠らしい説明がほしかった。ゴジラが水爆実験の影響で出現するようになったというような説明が。子供ながら実写版映画の限界を悲しんだ。
小学校5年くらいになると、架空のヒーローへのあこがれから卒業し、現実にいる人間へと心が移っていくことになる。そして丁度そのころ、絶妙のタイミングでその人は現れてくれた。読売巨人軍の長島茂雄だった。