【街景寸考】ヒジョウキンコウシは吠えた

 Date:2012年11月15日10時10分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 地元の某私立大で10数年ほど、非常勤講師の立場で講座を受け持ったことがある。これまで教壇というところに立ったことがなかったので、実にいい経験をさせてもらったと思っている。1日5時限の特別講座だった。無事終了すれば何単位かがもらえる講座でもあった。

 ところが、毎年だが、この講座の初日で必ず同じセリフを言わなければならないことがあった。それは、「おーい、お前らうるさいぞ」である。講義を始めてから2、3分経っても私語が治まらないのだ。私語はいつも2カ所、3カ所から襲ってきた。

 この私の一言で連中の私語が治まることはまずなかった。で、再度注意をする。否、吠える。「おい、お前ら、うるさいっち言よろうが。喋りたい奴は外で喋れや」と。きつい言葉だと思いながら、毎度そう吠えた。

 最初のころは多少ここで身構えていたが、目や態度で反撃をするような学生はいなかった。いなかったが、「この先公、何を怒ってやがんのだろう」と不思議そうに見る様子を見たときには正直戸惑った。私語がゼンゼン悪いと思ってないという証拠である。「何かあんたに怒るようなことを俺たちがしたかい?」という目である。

 他の反応もある。「こいつはウチの先公たちと少し違うぞ」という目もある。女子大生の中には「このヒジョウキンコウシ、恐そう」という目がある。私に言わせれば、「真面目に講座を受けようとするお前たちのために、あえて嫌われ役を買ってるんじゃないか」と言いたいが、そのことが通じそうな学生はいそうもない。

 話しは脱線する。何故こいつらは先生のことを「先公」というのか。この呼び方に侮辱的な意味が込められているのは分る。しかし、何故「公」という字を持ってきたのか分らない。「センコウ」と言い放つような語感が受けたのか。分らない。

 話しを戻す。私がそう学生たちに吠えた後、教室から本当に出て行く学生がたまにいたが、こちらも臆しない。「出て行きやがれ」と鬼になった。それにしても、ここの大学の先生たちは、日常的に萬延しているに違いないこの暴力的な私語に、どう対処しているのだろうかと思い続けた。

 「もう慣れっこになりました」とでも言うのだろうか。それはそれで、大した根性だと感心はするが、教育者としての資質は無いに等しいと思わざるを得ない。

 そう言えば、以前何かの本で、上智大学のレベルが向上したのは、神父でもある教授が、講義の前に教室の内側から鍵をかけたことがきっかけになった、というようなことを書いていたのを思い出した。