【街景寸考】凶器化してきたイジメの原因

 Date:2012年12月20日09時27分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
中高生のイジメによる自殺がなくならない。そのたびに、一生その悲惨なこどもの死と向かい合って生きていかなければならない親が登場してしまう。静かにじっと耐え忍んで生きていく親もいれば、もう二度とイジメによる自殺がないようにと社会に訴えかけていく親もいる。どちらも、「その日」から時間が止まったままの生活を余儀なくされ、その辛さは計り知れない。

昔からイジメは「こども社会」にあった。というよりイジメは元々「こども社会」に備わったトゲのようなものだと思っている。このトゲは個々の成長過程の中で自然に削ぎ落とされていくものだ。防止策を講じればある程度抑制はできるが、無くしてしまうことができないのがイジメである。

問題は、このトゲが人を自殺に追い込んでしまうような凶器にまで変貌するようになったということだ。凶器化するようになったのは、特に高度経済成長からの急激な環境変化と相関したものだと思っている。

国民の多くが貧乏だった時代、子ども社会の中でも助け合う精神が育まれた。たくさんの兄弟姉妹がいて祖父、祖母もいた大家族の中でもそれは育まれた。近隣関係も自然発生的な相互扶助の精神でつながっていた。こうした時代ではイジメのトゲは小さく、現れても深く心を傷付けるようなことまではなかったと言っていい。

トゲが大きくならないような教育環境もあった。日本人の品格を形成してきた武士道的な教育がそうだ。父親は「地震、雷、火事、親父」と言われるくらい厳しく、特に弱い者イジメは許さなかった。学校の先生も同じで、親たちも「先生さま」と呼んで敬い、こども達はそういう親を見て育った。

このトゲは高度経済成長と共に変化し、核家族化、塾通い、拝金主義、共稼ぎ、経済格差、地域コミュニティの崩壊などがこれの膨張を加速してきた。膨張したイジメは、執拗に嫌がらせを繰り返えすイジメ、陰湿、残忍なイジメ、人間の尊厳を踏みにじり、逃げ場を閉ざしてしまうようなイジメとなってこども社会の中を暴れ出した。

自殺があるたびに教育現場が責められる報道が繰り返えされるが、見当違いである。この国のかたちを構造的に変えていかない限り、凶器化したイジメの類はなくならない。それほど根は深い。被害者側が積極的にイジメの事実を公の場に曝け出していく。当面はこの対症療法で凌いでいくしかない。