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【街景寸考】買わなくなった宝くじ
Date:2013年01月23日09時12分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
車窓を通して混雑する天神の街中を見ていたら急に長い行列が現れた。行列は大きなパラソルのところを基点に百人ほど連なっていた。パラソルの中は宝くじ売場だった。列が切れるところで二つ目のパラソルがあり、そこから更に同じような列をなしていた。販売の最終日らしかった。行列の中の顔ぶれは、サラリーマン風、パチンコか競艇に通うような遊び人風、自営業風等と色々だったが、中年女性が特に目立っていたように見えた。
「どうせ当たらない」。私は意地悪な気持ちでその光景を眺めた。私自身、宝くじは7,8年ほど買っていない。その前までは2年に一度くらいは買っていた。買ったときは、1億円当たったら家のリフォームに、家族で世界一周旅行に、立派な自分の墓を買ってとか、残りは貯金にとか、具体的な執行計画まで立てたりして夢を楽しんだりした。
しかし、買うときは大勢の人が並ぶ天神のような売場ではなく、並ばなくても直ぐ買える場末の売場だった。当たりくじが出た売場で何とか当てたいという執念のある買い方はしたことがなかった。執念がなかったのは、いつも10枚しか買わなかったからだ。だからどこの売場でもよかった。
そうした私もたった一度だけ奮発して20枚も買ったことがあった。このときは執念を燃やした。気迫も十分にあった。黄色の布と宝くじを組み合わせて神棚に置けば当たるという話をどこからか聞き出したりした。幸い家に神棚があった。新築のときカミさんの親から拵えてもらったものだ。その神棚に黄色の布で包んだ宝くじを置き、2億円が熟成するのを待つかのようにして大晦日を待った。その間、ほとんど拝んだこともなかった神棚の前で手を合わせ、頭を下げ、柏手を打った。
結果は100円が2枚当たっただけだった。これまでになく思い入れが大きかっただけに、がっかりした。つくづく神も仏もいないとまで思った。これを最後に私は宝くじを買うのを止めようと思った。正月の初詣にも行かないことにした。神に裏切られたと思ったからだ。ついでに風水まで嫌いになった。黄色の布のこともあったからだ。と言うことで、これからも宝くじは買わないし、関心もない。
関心がないはずだが、売場に並ぶ人に「どうせ当たらない」という意地悪な気持ちになり、誰かが2億円当たったという話を聞けば「くやしい!」と思う自分がいる。その知らない当選者を羨んでいる自分がいる。つくづくはしたない人間だと思う。