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【街景寸考】駄菓子屋のこと
Date:2013年03月13日09時57分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
小学生のころ、学校から帰ると祖母に5円の小遣いをもらい、必ず駄菓子屋へ駆けつけた。駄菓子屋は家から歩いて5,6分のところに3軒ほどあった。私はその中で一番小さくて粗末な店構えの駄菓子屋へ行くことが多かった。角地にあり、どちらも間口が開け放たれて入りやすく、何よりも穏やかな笑顔で迎えてくれるおばあちゃんが店番をしているところが気に入っていた。
あとの2軒はどちらも無愛想なおやじが顔を出した。そのせいもあってか、店の中は薄暗い雰囲気があった。子どもたちが菓子を選ぶのに時間がかかっていると、「どれ買うとね」「はよう買わんね」と急き立てた。子どもたちにとって、駄菓子屋で時間をかけて吟味しているときが至福のひとときであるのに、このおやじたちには分ってもらえそうになかった。
小学4年生のころには小遣いが10円になった。私は5円では買えなかったクジ付きの菓子を買い始めた。クジに当たったときのおまけが楽しみだったからだ。私は、紙で貼り合わさった三角クジを買い、よく当てていた。当たりクジを引く秘訣を発見したからだ。
秘訣はこうだ。何枚もの三角クジの絵柄を何度もよく見比べる。大抵同じ印刷が施されているが、よく見ると、その中に混じって罫線が他のクジと比べて太さが違ったり、色の濃淡が違ったりする別刷りのクジがあるのが分る。それを引くと高い確率で当てることができるのだ。
話を戻す。駄菓子屋の魅力は、子どもが店で選んだものを自身の意思で買うことができる点にある。手に持っている10円分の自由を支配しているような気分になることができた。
スーパーや菓子専門店で菓子を親から買ってもらっても、こうした魅力は味わうことはできない。最近、大型店で「駄菓子屋祭り」のコーナーを見ることがあるが、偽の駄菓子屋を見せ付けられているようで、今の子どもたちには気の毒に思う。昔あった駄菓子屋の魅力を伝えようにも、その術はない。昔の子どもたちが感覚的に認識しているので伝えようがないからだ。
おばあちゃんがいた駄菓子屋を探すのは、もはや困難な時代になった。