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【街景寸考】恐かった飛行機
Date:2013年03月20日09時38分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
自分が飛行機恐怖症だと知ったのは社会人になってからだった。「こんなにでかい鉄の塊が空を浮くはずはない」と決め付けた。だから東京や大阪への出張は新幹線に乗って行った。そのうち仕事が忙しくなって、「飛行機は恐い」と言えなくなってきたため、乗らざるをえなくなった。今回の小欄は、初フライトのときの話である。
福岡空港がまだ搭乗口からタラップまでの間を巡回バスが走っていたころだ。バスから降りると、目の前に鉄の塊があった。先入観とほぼ同じ印象だった。飛行機に対する恐怖感が間違いでなかったことを確信することができた。
最初に恐怖を感じたのは、滑走路に入ったところで耳をつんざくような轟音が鳴り響いたときだった。このとき初めて自分の死を意識した。
次に死を覚悟したのは地上から車輪が離れたときだ。急角度で飛ぶ機の窓ごしに目だけを出して下界を眺めながら、これで地上とは最期かも知れないと思った。薄い雲の切れ間から福岡の市街地が霞んで見えた。幹線道路を走る自動車の動きがもう判別できない高さまで上昇していた。その景色を絶望的な気分で眺めていると、家族の顔が一人ひとり浮かんできた。それぞれに向けて最期の言葉を考えようとしたが、恐怖心で頭の中が混乱していたので、気の利いた言葉が出てきそうもなかった。そのうち遺言を考えるのが面倒くさくなり、目を閉じた。
水平飛行になってから機内アナウンスがあり、スチュワーデスたちがせわしなく動き始めた。熟練された彼女たちの振舞いや笑顔を眺めていたら、少し気分が落ち着いてきた。差し出されたジュースも美味しく飲むことができた。
「あとは無事、着陸するだけだ」
と思いながら、少し余裕が出てきたような気がした。
しばらくして機は東京上空に近づいたのか、高度を段々下げ始めた。真下にある海が近づいてくるとエンジンが重々しい大きな轟音へと変化した。コンピューター任せの飛行から手動に切り替えられたのだと素人ながら思った。機は、傾いたり平行になったりしながらゆっくり降下していた。手の平から脂汗が滲み出てくるのを感じていた。
飛行場の芝生すれすれまで来ると、機は水平に保たれたままキュッという摩擦音とともに無事着陸した。
「生還できた!」
と、思わず心の中で叫んでいた。嬉しさをこらえきれずに隣席の乗客に笑みを投げかけた。無視されたが構わなかった。
それから飛行機に慣れるまで数年間かかった。最近では、「落ちるなら、落ちれ」と開き直ることもできるようになった。余生が短くなってきたということと相関性がありそうだ。大抵のことは経験と年齢が解決してくれるという一例である。