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【街景寸考】高度成長と日雇い労務者
Date:2013年04月10日09時30分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
学生時代、バイトが見つからないときは、日雇い労務者を集めるマイクロバスに乗り込んでしまえば日当を稼ぐことができた。この部分は以前小欄で書いたことがある。今回はそのとき一緒になった労務者たちの話である。
彼らはマイクロバスが何台も待つ高田の馬場駅近くの公園前に毎朝通ってきた。近くの路上には、彼らを相手にする朝食だけ営む露店があった。終戦後あったような闇市と同じ光景である。露店では飯と味噌汁程度のものしかなかった。飯が50円、味噌汁が20円くらいだったか。立ったまま食べなければならなかった。飯だけを注文する者もいた。露店のそばでただ見ているだけの者もいた。
マイクロバスは予定の労務者を確保すれば、それぞれ都内にある工事現場へと散って行った。カーラジオからDJの元気な声や歌謡曲が車内を満たしていたが、彼らの背負う人生とはあまりにも違和感があるのか、そのなじめない異文化にじっと耐えているように見えた。
たまによく喋る労務者と隣り合わせになることがあった。彼らからは、過去の自慢話か、そうでなければ親戚縁者の自慢話を聞かされることが多かった。「これでも昔は左官をやっていて何人か使っていたことがある」とか、「姪の婿は東北のどこかで医者をしている」とかいう話である。
ときには「あの男は東北の出稼ぎで東京にきていたが、女ができて、田舎に仕送りをしなくなった」とか、「あの男は、人を殺して刑務所から出てきたばかりだ」とかの個人情報を得意気に話す者もいた。
驚愕するような話も聞いた。戦時中、ニューギニア戦線で餓死寸前の日本兵が、味方の日本兵を後ろから銃で撃ち、その肉を食べたという話である。ヘビやカエルを捕まえるより簡単だったからというのがその理由だった。抑揚のない淡々とした話し振りから、多分本当の話だろうと思った。
ビルの建設ラッシュが続く時代、その現場で働く彼らの日々の暮らしは、著書「日本列島改造論」の中で描かれた近未来の生活とは無縁のものだった。その彼らが列島改造の現場を底辺で支えているという社会の構図を思うと複雑な気持ちになった。その著者・田中角栄がまもなく総理大臣になったころの話である。