【街景寸考】優越の錯覚

 Date:2013年04月24日09時55分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 仕事上のミスで上司や同僚からそのことを指摘されたとき、「すみません」と言えないタイプがいる。甚だしい場合は、頭を下げるどころか、そのミスを他人のせいにしたり、詭弁を弄してわが身を守ろうとする者もいる。

 こうしたタイプは、どちらかというと、学校時代、成績が良かった者に多いように思う。いわゆる、「良い子」の履歴を持った者たちだ。その点、「ガキ大将」を経て大人になった者は、叱られることに免疫ができているので、「すみません」という言葉を発することに抵抗感があまりない。腹の中でベロを出しながら謝る芸当も身についている。

 「良い子」だった者はそうした類の精神的強さはない。「自分は他人より優秀な人間」だという思い込みがあるもで、簡単に頭を下げることができなくなっている。だからミスを指摘されたときは、「優秀な自分」を守るため反射的に言い訳をしてしまうように思える。自分を守ろうとするから反省ができなくなり、反省ができないから自己を改善していくことができなくなる。ついには自己中心的な考え方に偏ってしまい、社会性の低い人間になっていく。

 言うまでもなく、社会人に必要とされる能力は学業の場合のそれとは全く別物である。というより一人前の社会人になる方がはるかに幅広い能力が必要とされる。従って、学業が優秀だった者でも社会人としては劣等であっても不思議ではない。誰もが社会に出てから必要な能力を磨き、一人前になっていくのである。

 そうした能力を磨いていくためには、学校時代に得たプライドはかえって邪魔になる。謙虚になることの方が吸収力は大きい。このことが解れば「すみません」と言うことに抵抗感はなくなるはずだ。

 脳科学の分野では、どの人間にも程度の差こそあれ「自分は他人より優れている」という心裡があるとされている。この心裡のことを「優越の錯覚」と呼ぶそうだ。最近、この心裡についてどこかの研究所が解明したという記事が出ていた。その記事は専門的で難しかったが、平たく言えば脳の中で接合されるべき部分のネジが緩んでいる人ほど「優越の錯覚」が大きくなるということだった。

 何かと言い訳をする者のことを「ネジが緩んでいる人」という研究結果の表現が、門外漢からみて実に分り易いと思った。