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【街景寸考】大歓迎、フラッシュモブ
Date:2013年05月15日09時07分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
朝の電車通勤で見る面々は、時間帯が同じだから毎日同じ面々である。表情も通勤用のものだから毎日一定していて変わらない。たまに旧知の間柄らしい人とバッタリ会ったときの光景を見ることがある。そのときのその人の変化の様は見ていて面白い。直前まで仮面のような顔だったのが、急に表情が造られ、驚き、笑い、抑揚のある口調で喋り始めたりする。見ている方は、日頃見ることのないその人の素顔を見せてもらったようで、得した気分になったりする。
久々に雪が降った早朝の通勤風景なども、これと似た面白さを味わうことができる。一面雪化粧という非日常の風景の中にいるせいか、いつもの面々はどこかフレンドリーな優しい表情になっているのだ。この優しさは、雪と戯れた懐かしい子どものころの想い出をお互い共有しているという親近感からくるものではないかと思われる。
このような微笑ましい非日常的な光景に遭遇したとき、人々は思わず素顔を見せ、心を通わせたくなるような気分になるところがある。それは、大袈裟に言えば「同時代を共に生きている」という共感のようなものではないか。
最近、この非日常的な現象を作為的に演出する「遊び」があることを知った。フラッシュモブというのがそれだ。事前にネットで呼びかけられた群衆が公共の場に集まり、例えば、突然あちこちでバナナを耳にあてて携帯電話をかけるようなパフォーマンスをするのだ。枕を持参した者同士が、入り混じってその枕で叩き合ったりするというパフォーマンスもあった。いずれも数分間でその「遊び」は終わり、何事もなかったかのようにその場を立ち去っていくというものだ。
こうした「遊び」は大歓迎である。意味のない非日常的な空間を創作することで、合理的・機械的に作られている日常の陳腐な世界を蹴散らすような爽快感がある。そこに居合わせた群集をも巻き込んで、本来あるべき人間性を取り戻そうとする示威運動のようなものに見えなくもない。あるいは、人間が復興するための新しい文化や価値観の創造に繋がる「遊び」のような予感さえする。
ネット空間と現実を繋ぐアートのなせる業である。