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【街景寸考】三段式の弁当
Date:2013年06月19日09時09分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
昼近くになると職場に弁当屋が何社か来る。350円という安い弁当もあるが、食べてみるとそう悪くない。その弁当を食べていたら自前の弁当のことを想い出した。20年以上も前にカミさんから作ってもらった弁当のことである。
結婚してからも昼食はずっと外食だった。ところがある朝、カミさんはいつもの子どもたちのための弁当に加えて、私の弁当も作ったのだ。初めてのことである。その弁当箱は三段式になったステンレスの弁当だった。とても通勤用のバッグには入りきれない代物だった。もちろん保温もできた。三段だから飯とおかずのほかに味噌汁まで付けられた。これが普通の一段式の弁当箱だったら平気なふりもできたが、そのあまりもの豪華さに戸惑った。カミさんに何か良いことがあったのか、それとも良くないことを考えているのか分らなかったということでも戸惑った。
ところが、意外にもこの弁当は3日と続かなかった。最初から身の丈にあった弁当ではないと思ってはいたが、こんなに早く撤退するとは正直思ってもみなかった。華々しく登場し、潔く撤退することになった弁当について重大な関心を持っていたが、何故か私だけでなくカミさんも、このことに関しては何も語らずじまいで今日に至っている。
この話のついでに祖母が作ってくれた弁当のことを想い出した。祖母の弁当のことでは未だにわだかまりを残したままである。小学6年のとき、それまで弁当のおかずやおかずの彩りのことに気を止めることはなかったが、後ろの席にいた女の子が私の弁当をときどき覗いていることを知ってからは、弁当を見られるのが恥しいと思うようになった。その子の弁当がカラフルだったのに比べ、自分の弁当があまりにも色合いがなく貧相に思うようになった。実際、その子が隣の席にいる女の子に、「今日も塩鯨よ」と囁いているのが聞こえたことがあった。そのときは顔から火が出るくらい恥しかったことを憶えている。
祖母の作る弁当のおかずは、毎日のように塩鯨と高菜漬と決まっていた。卵焼きやタコの形をした赤いウインナー、赤い皮が付いたうさぎの形をしたりんごなどのおかずとは無縁だった。自分の弁当が恥しいものと思い込んでからは蓋を開けることができなくなった。蓋を開けないまま、学校の帰りに飯ごと全部田んぼに捨てたこともあった。祖母には申しわけないと思いながら捨てた。捨てるときに胸が痛くなり、捨てたあとは胸が疼いた。
350円の弁当を食べながらそんな当時のことを想い出していた。鼻の奥でつんと苦い味が走ったような気がした。
ところで、あの三段式の弁当箱は今どこにあるのだろうか。リタイアする前に華々しく再登場する姿を見てみたいものだ。一度だけならカミさんの賛同を得ることができそうだ。言い出すタイミングと言い方が問題である。