【街景寸考】恐怖の筆字

 Date:2013年07月03日10時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 子どものころから字を書くのが下手クソだった。母から「お前の字はミミズがはっているみたいだ」とよく言われていた。ミミズを観察する機会が何度かあった。ミミズは湿った土のところにある大きな石をはぐると大概いた。それを見ていると、確かに母の言っていることも分らないではなかったが、同時に母の書いた字にも似ていると思った。

 下手クソな字は大人になっても変わらなかった。原稿用紙に字ばかり書くような仕事をしていたときも上達することはなかった。当時はまだパソコンやワープロがないときで、活字にするのは写植屋さんの仕事だった。写植屋さんもベテランともなれば、読みづらい原稿でも、たちどころに字の癖をつかみ、読み解くという能力を備えていた。その写植屋さんから、私の原稿のことで何て書いているのか分らないという電話をときどきもらっていた。その写植屋さんから冗談まじりで私のことを「写植屋殺し」と揶揄されたことがあった。

 自分の下手な字のことで忘れられない思い出がある。小学校のPTAの会長をしていたときに、その学校の教諭の父親が亡くなられたということで校長と連れ立って葬儀に行ったときのことだ。会葬者が記帳する受付には毛筆しかなかった。校長は普段の表情で筆を取り、スラスラと私の横で書いていた。私は瞬間的だったがその場で固まっていた。ただでさえ下手な字が、筆字で書けばその何倍も下手に見えてしまうことを知っていたからだ。

 私は辺りにサインペンのようなものがないか探したが、ありそうもなかった。かといってこの場で自分のボールペンを取り出すまでの勇気はなかった。毛筆を手にするのは中学校の習字の授業以来である。成績は5段階で1か2だった。しかしこの場は、そんな弁解がましいことを言えるところではない。ままよとばかりに記帳簿をたぐり寄せ、敵を打つかのような気迫で一気に書いた。結果は予想どおりだった。ヘタクソというより悲鳴をあげたくなるような墨字になった。ミミズがはっているというより、痙攣しているミミズが横たわっているように見えた。一刻も早くその場から立ち去りたかった。自分の中にあるこの劣等な遺伝子を呪い、足早に校長の背中を追いかけた。このときから20数年、今のところ毛筆を使わずに済んでいる。

初めてのラブレターのことを書くつもりが、恐怖の筆字の話になった。