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【街景寸考】刺青と大混浴の絵
Date:2013年07月10日10時02分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
炭鉱夫だった山本作兵衛さんが60代半ばから描き始めたという697点の絵が、ユネスコの世界記憶遺産に登録された。2年前のことである。かの万葉集や古事記よりも先に登録されたのだから凄い。同じ旧産炭地の出身者として大変誇らしく思う。
作兵衛さんの絵は36年前に見たことがあった。地元福岡の小さな出版社だった葦書房が「炭鉱(ヤマ)の仕事」(筑豊炭鉱絵巻)と題して出版したばかりのころ、たまたま本屋で見つけたのだ。それまで炭鉱の坑内で働く鉱夫の様子といえば、重そうな削岩機を手に石炭層に向かって砕いている光景しか知らなかった。作兵衛さんのこの画集によって、明治から昭和にかけて坑内で働く鉱夫たちの様子を初めて知ることができた。
小学生のころ、私は学校帰りに炭鉱の坑口が近くに見えるところまで何度も行ったことがあった。そこへ行けば鉱夫たちを乗せたトロッコ電車が、地の底に吸い込まれて行くところや、炭塵を被って真っ黒になった鉱夫たちを連れて地上から出てくるところを眺めることができた。それらを眺めながら、地の底で働く鉱夫たちのことを想像していた。自分も大人になったら炭鉱夫になって同じ仕事をするかも知れないという思いがあったからだ。
作兵衛さんの絵は、それまで私が想像していた鉱夫たちの様子とは別物だった。狭く、薄暗い坑内で落盤の恐怖と戦いながら必死に働く鉱夫たちの姿は、どの絵にも凄みがあった。また働く様子は違っていたが、私が子どものころにもよく見てきたものが作兵衛さんの絵の中にもあった。鉱夫たちの背中に刻まれた刺青である。
高校を卒業して上京したばかりのとき、この刺青のことで同じ新聞配達をしていた同僚を驚かせたことがあった。銭湯の入口にある「刺青お断り」の表示板のことである。最初、私はその意味が分らなかったので同僚に質問をしたのだ。「何故、刺青をした者が風呂に入れないのか」と。同僚はこの私の質問に驚いていたが、自分の暮らした炭鉱の共同浴場では刺青は珍しくなかったことを言うと、彼はもう一度驚いていた。
このときから自分の生まれ育ったところが特異な文化をもった地域であるということを知るようになった。今では、自分がこうした地域の出身であることを誇らしく思えるようになっている。ただ、鉱夫がヤクザと同じように何故刺青をしていたのかについては、未だに知らない。
作兵衛さんの絵の中で刺青より関心のあるのが大混浴の絵である。この絵を見るたびに、せめて自分が高校生のころまでこの風俗が続いてくれていたらと思ってしまう。