殿方の老後の課題

 Date:2012年03月09日15時31分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
女たちが寄れば必ずおしゃべりに花が咲く。

年代に特別差はなさそうだ。

「AKB48の誰がどうの」「チャン・グンソク(韓流)が一番イイ」「髪を短くした?」「どこの店の何が美味しかった」等々、たわいもなく、とりとめもなく、しかし実に楽しそうにしゃべる。

長年の友や旧知の関係かと思いきや、たまたま日帰りバスツアーで一緒になっただけという類もある。男同士の場合はこうはいかない。

酒の力を借りるとどうにかなる場合があるが、素面だと口も頭も固まって動かなくなる。

近所の旦那と電車の中で席が同じになってしまう場合などは特にそうだ。たちまち重苦しくなる。

「今日は天気が良いですねえ」「そうですね」くらいまではいいが、後が続かない。

お互いぎこちなく次ぎの話題を探しながら敵対関係にないことくらいは何とか取り繕うと努める。
まさに「努める」。

だから少しも楽しい会話へとは発展することない。というより、会話そのものがつらく、おしゃべりを楽しむという次元にはほど遠い呈である。

自分がまだ若かった頃は、女性同士の姦しいお喋りを「つまらんことをよく喋る」などと評していたが、年を重ねるにつれて見方が変わってきた。
「男にできない能力」として評価をするようになってきた。

「おしゃべりの花」が雑然と野に咲く草花のように可愛く、綺麗にさえ見えるようになった。

人間の幸せが、日常のなんでもないことの中に沢山詰まっているということが分ってきたからだ。

そう思えるようになると、女性たちのおしゃべりも「幸せ上手」の達人にも見えてきた。

殿方衆もこれに見習って、姦しくしゃべれるよう努力すべきだ。
酒の力を借りないと勢いが出てこない気弱なままの男ではダメだ。

女になるのだ。殿方衆の老後の大きな課題でもある。