【街景寸考】5歳児の逃亡劇

 Date:2013年07月24日10時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 5歳のとき家から逃亡した。私がまた何かの悪さをしたので、祖父が怒って私を追っかけてきたから逃げた。日常の光景だった。しかし、このときの祖父は顔から火が出ているように見えたので、いつもより遠くに逃げた。我に返って辺りを見ると、普段一人では行ったことのないバス通りの近くまで来ていた。

 そのバス通りを辿れば母が働いている病院がある。祖母と二人で何度もバスに乗って行ったことがあったので路線は覚えていた。その方角を眺めていたら母のところまで行きたくなってきた。不安も恐さもなかった。その病院までは8キロくらいの距離があった。物心がまだ十分でない年齢のころだから我ながら今でも感心する。

 夏の日差しが照りつける中、私は歩いた。砂利道の時代だったので車が横を通るたびに土埃が舞った。途中、同じ方向を歩いていたどこかのおばさんが声をかけてくれた。どんな会話をしたのか覚えてないが、一緒に歩いて行くことになった。

 おばさんは途中でバス通りから田んぼのあぜ道の方に私を導いた。緑が広がる田んぼの先に大きな百姓家が見えた。その百姓家の裏庭にある井戸端まで来ると、その家のおばさんが井戸水で冷やした瓜を二人に食べさせてくれた。おばさん同士は知り合いのようだった。瓜は思っていたより冷たく、甘かった。

 百姓家を出た後もあぜ道をそのおばさんとしばらく歩き、そして再びバス通りに出た。通りに出たところで氷暖簾の下がる小店があった。おばさんはその店に寄り、カキ氷を奢ってくれた。店の主人からシロップの色を聞かれたので、私は「いちご」と答えた。カキ氷も冷たくて美味しかった。母がいる病院まであとわずかだった。おばさんとはこの店で別れることになった。

 病院に辿り着くと廊下で偶然母と出くわした。母はモップで掃除をしているところだった。「かぁちゃん」という私の声を聞いて、母は顔を上げた。「あららっ」、母はそう言って目を丸くした。

 このとき地元の警察や消防団が私を捜索していたということを知ったのは、何年も経ってからだった。電話がまだどの家にもない時代だったので母からの連絡が遅れ、大きな騒ぎになっていたのだ。5歳の時にしては、しっかり記憶に残った思い出である。