【街景寸考】我が家の消費行動

 Date:2013年09月25日09時21分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 「個人消費の動向が景気に大きく左右する」という経済の専門家たちの発言を耳にするたびに、少々後ろめたくなる。我が家の消費行動の希薄さに責任の一端を感じているからだ。食料は別として物に関して言えば購買意欲というものがない。というか、意欲以前に物(商品)に対する興味というものが起きてこない。カミさんも似たり寄ったリのところだ。洗濯機や冷蔵庫などの家電製品はどれもくたびれるまでこき使い、いまだかってそのときに流行する最新式を買ったことがない。地デジになる前のテレビは、朝電源を入れたら夕方になってやっと画面が現れるというところまで使い切った。

 商業施設へ行くたびにカミさんから衣料品を買うよう勧められるが、下着も含めてここ数年買った記憶がない。衣服がすり減ったり破れたりしているわけではないので、買う必要がないと思う方が正しいと思っている。背広はほとんどもらい物だ。近所にアパレル業界に勤めるおやじがいて、そのおやじのお古がいつのころからか私の方に回ってくるようになった。腹回りを除けば背丈がほぼ同じなので問題ない。譲るおやじの方は恐縮しているが、ありがたくいただいてきた。ちなみに腹回りはそのおやじの方が大きいことを補足しておきたい。

 物欲がないと言えばうそになるが、ほしい物を買わないで我慢をしているというわけではない。物欲とは無関係かもしれないが、いまだかってクレジットカードやキャッシュカードを持ったことがない。ポイントカードも割引券も持っていない。カード類がないから財布も持っていない。いつも少しだけの現金をズボンのポケットの中に突っ込んでいる。だから衝動買いということもない。

 消費はお金を余分に持っている者がすればいい。私のような下流層が景気回復に協力するような筋合いのものではない。ただ人間の幸せについて考えるとき、上流層も下流層も物欲を押さえ、腹八分目の消費行動に徹すれば、その一端が見えてくるような気がしてならない。物欲が強ければ幸福度はいつまでも低いままで停滞するのではないか。

 そう言えば、国民の幸福度が世界一だったブータンでは、今その幸福度が下がり始めているという。欧米の文明や情報に染まってきたからだと報じていた。