【街景寸考】「お・も・て・な・し」の功罪

 Date:2013年10月02日10時32分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 最近のことだと思うが、コンビニなどで釣銭をもらうときに、客が差し出した手を両手で優しく包むようにして渡してくれる店員さんが多くなった。もちろん女性の店員さんに限られているようだが、スケベ親父の一人としてこうしたサービスは大歓迎である。

 店員さんが私に特別の感情をもっているわけではないと百も承知しているが、それでも胸が軽くときめいてしまう。以前、空港で金属探知機に引っかかったとき、美人の空港警備員から身体を触りまくってもらったときのときめきに似ていた。もしコンビニで男性店員が男性客に両手で優しく包んで釣銭を渡すようなことがあれば、その場合は特別の感情からのものに違いない。

 オリンピック東京招致のプレゼンで「お・も・て・な・し」がアピールされていた。コンビニの店員さんたちが、スケベ親父の手を包み込むサービスも、おもてなしの一環だと思われる。確かに日本人はもてなしが上手である。痒いところに手が届く国民だと言える。かつて流通業界に君臨していた大手スーパーの創業者が「消費者は単なるお客ではなく、自分の家に招待した大事なお客さんだと思わなければならない」と社員に説いたことがあった。

 近年では、一流の老舗旅館に社員を差し向けて、おもてなしを学ばせるという企業の例が増えていると聞く。特にサービス産業にその傾向が強い。おもてなしとは、「心を込めてお客さんの世話をする」ことであり、こうした傾向は消費者にとって喜ばしいことであるには違いない。

 しかし、最近このおもてなしに少々疑問をもつようになった。いわゆる、おもてなしまでが商品の一部にされ、マニュアル化されたおもてなしが社会に広がる風潮があるからだ。この傾向が強まると「心を込めて」という本来あるべき肝心な部分が希薄になっていくのではないかという疑問である。

 近年、消費者のクレイマーがモンスター化してきたような感がある。こうした現象はおもてなしを商品化してきたことと無関係ではないように思う。企業間でおもてなしの競争が熾烈になればなるほど、消費者は自分が絶対者に近い存在だと勘違いしてくるからだ。おもてなしを叩き込まれた社員たちも、立場が変われば消費者である。この手の消費者もクレイマーになったとき、更に凄味があり、怖くなりそうだ。