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【街景寸考】アーケード街に「ムラ」があった
Date:2013年10月23日10時30分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
田川市にあるアーケード街を久しぶりに歩いた。地方の商店街がどこもシャッター通りになっているように、ここも例外ではなかった。櫛の歯が抜けていくように店舗が閉まっていく様子は以前から知っていたが、近況を見ておきたかった。休日だというのに人の姿はほとんどなく、寂しい情景に加えて、ところどころで不気味さが漂うところさえあった。人が通らないときでも犬や猫を見かけるというので、「犬・猫通り」と呼ぶ者もいた。
高校時代、学校の行き返りに必ずこのアーケード街を通った。当時は炭鉱の景気がまだ残っていたのか、毎日多くの人出で賑わっていた。夕方になると、会社帰りの勤め人、割烹着を着た子ども連れの主婦たち、魚屋や果物屋のオヤジと掛け合う高齢の女性たち、衣料品店の前で客を相手に立ち回る若い店員さんたち等々、アーケードの中はどこも活気に満ちていた。土・日はもっと賑わった。
今、そこは街の残骸のようになって横たわっていた。周辺の人口が減ってきたということもあるが、直接的な原因は大型商業施設の進出であることは間違いない。市場原理で言えば、この大型商業施設が勝ち組で、アーケードの商店街が負け組である。より消費者のニーズに応えた方が勝ち組になる。
かつてアーケードは、人と人が繋がる「ムラ」のような空間だった。そこへ行けば必ず知り合いと出会い、言葉と心が交わされた。お互いを元気にするエネルギーがそこにあった。そのムラは今、人の動きや人情の一切合財が消え去り、抜け殻のようになった。まるでミサイル攻撃を受けた時のような破壊力で壊されたみたいである。遠隔操作みたいなものだから、そこで生活していた人々の喜びや悲しみ、痛みを感じることはない。
今、時代は核家族化、孤族化に向かい、ムラは消え去ろうとする運命にある。旧商店街は街の生活者にとって、その最後の砦だったと言ってもいい。旧市街地の空洞化は、人々の心の空洞化でもあることを忘れてはならない。時代が変わり、いつかまたここに人々が集まってきて、ムラが蘇ることを心より願う。