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【街景寸考】「寝過ぎた子」は育たなかった
Date:2013年11月06日10時06分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
寝ることが趣味とまでは言わないが、振り返れば人一倍居眠りをしてきた人生だった。高校時代は野球が生活の中心だったので、部活以外のときはどこにいても目を閉じることができる環境にあれば眠っていた。夜は8時ころにはすでに寝て、朝は7時ころ起きたので11時間ほど毎日寝ていたことになる。
授業中もよく眠っていた。学ランを頭のてっぺんまで上げて顔を包み、机に突っ伏して眠っていた。前席の生徒の背に隠れて先生方にはわからないと思っていたが、バレバレのようだった。叱られなかったのは、先生方が私の将来を見放していたからだ。
眠り癖は大学に行っても変わらなかった。はなはだしいときは、途中目が覚めて顔を上げるたびに、教授たちの顔が次から次と変わっていたということもあった。ある黄昏時、目を覚ましたら広い教室の中で教授と二人きりになっていた。すでに授業が終わり、ほかの学生たちは誰もいなかった。教授は教卓に向かって何かの資料に目を通していた。俯いたままだったが、私に気付かないはずはなかった。私の将来を見放した態度だった。
その重たい雰囲気に耐えられずに脱出を試みようとしたが、長時間同じ姿勢をしていたせいか、足が痺れて一歩も動けなかったことがあった。この光景は今でも悪夢となって夢に出る。
社会人になっても居眠り癖は治らなかった。講習会に出席したときなどは必ず眠ってしまった。そのうち会議の席でも眠るようになった。腕を組んで目をつぶり、考えを集中しているように見せかけていたので、ばれることはなかった、と思う。
そのうち、眠っている途中で意見を求められても返答ができるようになった。実に不思議な能力だと思った。質問がありそうな気配になると、脳のどこかでラッパが鳴ってくれているみたいだった。
以上は、野球で鍛えた強靭な体力と下等な精神を併せもってなせる愚行の数々である。責任の半分を、睡眠時間が必要とされる体質のせいにしてきた。「寝る子は育つ」はしかりであるが、「寝過ぎた子」は育たないということを、身をもって証明してきた。
今は以前ほどの眠り癖はなくなった。歳のせいである。眠りに必要とされる体力がなくなってきた。