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【街景寸考】喫茶店、今昔
Date:2013年12月04日09時41分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
最近は、以前あったような薄暗くて談話室風の喫茶店をあまり見ることがなくなった。店内が明るくて広く、一人客が多いというのが今風の喫茶店のようだ。客はそれぞれ店内でスマホをしたり、本を読んだり、何かの書き物をしているという光景が圧倒的に多い。
子どもの頃、喫茶店が珈琲を飲ませる店だということは薄々知っていたが、わざわざお金を払ってまで行く客のことが理解できなかった。家庭科の授業で飲んだことがあったが、苦くてまずかったからだ。角砂糖を何個も入れないと飲めず、砂糖湯の方がまだましだと思っていた。そんなまずいものを出して商売が成り立っているというのが、不思議だった。
喫茶店に初めて行ったのは高3のときである。初めてのデートのときだった。私は彼女に倣って珈琲を注文した。喫茶店の珈琲は、思ったとおりまずかった。まずかったが、ただ飲むしかなかった。部活の野球ばかりやっていたので、飲みながら話しをするという要領を知らなかった。何を話題にすればいいのかも見当がつかなかった。
珈琲はすぐ空になった。空になったので会話らしい会話をほとんどしないまま店を出た。ぎこちないデートになり、ほろ苦い想い出となった。珈琲の味と同じだった。
喫茶店のことが理解できたのは大学生になってからだった。恋人同士や友人同士にコミュニケーションの場を提供するという商売だったのだ。そのころ、「ウィンナ珈琲」のことで恥をかいたことがあった。
「ウィンナ珈琲」のことを、ウィンナー(ソーセージ)が入った珈琲のことだと思い込んでいたのだ。それを注文したら、運ばれてきたのは白い泡が山となって浮かぶ珈琲だった。小腹が空いていた私は、肝心な物が入ってないことを従業員に質してしまったのだ。この後のことについては言及を省く。
時代が移り、喫茶店の役割も変わってきた。スタバ風を見ていると、人々が孤立化している今の風潮を象徴する光景のようにも見え、余計な心配をしてしまう。喫茶店で口角泡を飛ばして学友たちと議論していたころの時代はもはや夢物語になってしまった。