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【街景寸考】2年間の貴重な経験
Date:2013年12月18日09時45分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
小学校PTAの会長をしたことがあった。それまでPTAの会長といえば、父母の中でも特に教育に関心の高い人たちか、周りから押される地元の有力者のような人たちがなるものだと思っていた。ところが、そのどちらにも無関係なただの勤め人がなった。
それはある日突然のことだった。職場から帰宅し、夕食を済ませてから少し経った頃だった。玄関先で何台もの自転車が止まるブレーキ音が聞こえたかと思ったら、息子たちが通う小学校の教務主任を先頭に、5,6人のお母さん方が次々家の中に入ってきた。
用件は次期の会長に是非なってもらいたいというものだった。「是非、何とか」という言葉ばかりで、どうして私なのか、PTAはどんなことをするところなのかというような説明がなく、説得力がまるでなかった。拝み倒そうという戦法だけで来たようだった。
お母さんたちの何人かに少し質問をしてみて分かったことがあった。それは、今は昔と違ってPTAの会長に好んでなる人はめっきり少なくなってきたということだ。時代が変わったのだと思った。金を稼ぐのに忙しくなり、仕事で忙しくなり、都市化で地域そのもの性質も変わってきたのだと思った。
結局、お母さん方の長時間にわたる粘りに負け、承諾させられてしまった。承諾後、あることに興味が湧いてきた。それは教師を生業にしている人たちへの興味である。PTA会長になればどの父母よりも教師たちと接する機会を多くもつことができるはずだ。小学校時代、「落ちこぼれ」だった私の目に映っていた教師像と、大人になってから映る教師像とがどう違うのかを知る機会になると考えた。
教師たちと接することになって感心したのは、どの教師も魅力あふれる人たちばかりだったということだ。教育現場の問題を積極的に提起し、本音で議論をしようとする姿勢を感じることができた。私が小学校の頃の教師たちも同じだったに違いない。そんな彼らを私は困らせ、泣かせてきたのかと思ったら、時を遡って彼らに謝りたい思いに駆られた。校長や教頭の子どもたちへの思いも、意外だったが現場の教師と変わらないということも知った。
PTA活動の方はつまらなかった。学校行事に協力するばかりで、PTAの主体性らしき活動はほとんどなかったと言っていい。それに関係団体との中身のない慣例的な「連携」にもうんざりだった。まあ、それでも貴重な経験だったと思っている。それなりに2年間がんばった。