【街景寸考】食べたかったビフテキ

 Date:2014年01月29日10時10分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 「初めての給料でビフテキを食べるんだ」

 まだ食べたことがないというビフテキを、親指と人差指でその厚さを作りながら彼はそう言った。中学生のときの友人である。

 彼は集団就職で大阪の町工場で働くことが決まっていた。昭和39年のことである。親元から遠く離れ、一人都会で働くことの不安があったと思うが、そんな様子を彼は見せなかった。親に負担をかけて高校へ行くことにしていた私は、感心したり、いずれ彼とは離れてしまうことの寂しさを思ったりした。

 当時はまだ貧しい家庭が多かったので、中卒で東京や大阪へ働きに行った級友は大勢いた。企業は一人でも多くの若者に来てもらうことを望み、彼らのことを金の卵と呼んだ。この言葉の中には安い給料で雇うことができるという意味もあった。

 ビフテキの話に戻る。炭鉱の長屋で暮らす大人たちでも、実際にビフテキを食ったことのある者はそういなかったように思う。炭鉱夫の給料では手に届かなかったはずである。

 塩クジラはよく食べた。地の底で石炭を掘り出す鉱夫の仕事は、大量に汗を流したので塩クジラは塩分を補給する重要な食材だった。今と違い、クジラの肉は随分安かったので毎日でも食べることができた。

 鶏肉や豚肉もたまには食べさせてもらったが、牛肉は年に数回あるかどうかだ。ましてやビフテキとなると、映画や雑誌の中だけの料理でしかなかった。レストランでビフテキを食べるというのは、産炭地で生活する人たち共通の夢の一つではなかったか。

 数年後、大阪で働くその友人が正月休みで帰省したときに町の喫茶店で落ち合った。中学時代口数が少なかった彼は意外にも饒舌な人間に変わっていた。社会人としての自信からくるものだと思えた。彼は、大阪の街は華やかだとか、大きなビルが建っているとかの話を得意気に話した。元気に働いている様子だった。しかし、すでに彼がビフテキを食ったかどうかの話は聞くことはできなかった。聞く勇気がなかった。