【街景寸考】母から学んだこと

 Date:2014年02月12日10時09分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 当方の母のことである。今年九十三歳になる。つい最近までは路上でスキップをして見せ、階段を駆け下りていた。八十代のころまで自転車に乗り、上り坂では立ち漕ぎをして上るところも見た。この立ち漕ぎ運転をカミさんはできない。足腰の力だけでなく、バランス感覚がなければ難しいようだ。

 最近まで母はそれくらい元気だった。寄る年波に勝ってきた。母を手本にしてきたのは健康だけではない。いつまでも子ども心を捨てずにいるという点も手本にできた。母はいつも子どものようにはしゃぎ、おどけるようにからだを動かした。

 車に乗せて田舎道を走っているとき、「私、一度でいいから自転車に乗ったまま田んぼの中に飛び込んでみたーぃ」と言ったりする。町の人たちが公民館に集まっている光景がテレビに映し出されると、「わぁ楽しそうー、近所の人たちがこんなに集まって。自分もこんなところに行ってみたーぃ」とはしゃいで見せた。

 思うに、感情で考え、行動するのは子どもの部分であり、理性で考え、行動するのは大人の部分だと言っていい。人はこの両面を持ち、使い分けをしながら生きている。仕事をしているときは大人の部分で生き、休日に趣味にいそしんでいるときは子どもの部分で生きているときだ。母は、生活のあらゆる場面で子どもの部分を忘れずに常に生きてきた。

 世の中、大人の大半は大人の部分だけで生きている人は少なくない。特に男の方に多い。趣味もなく、遊び心もない人間は言うまでもなく面白味がない。色で言えばモノクロが見えるだけの味気ない世界でしかないはずである。子ども心を捨てずに生きていくことで、世の中は彩りのある楽しい世界が見えてくる。 

 その母の子どもの部分が鈍くなり、大人の部分も細くなってきた。急にそうなったという印象がある。九十三歳だから仕方がないと思わなければならないが、そのことを受け入れることがまだできない。「元気な母」に甘えてきたせいだ。母のありがたさを知ってから十分過ぎるくらいの時を経てきた。しかし、未だ「親孝行、したいときに親はなし」の課題を背負ったままである。