【街景寸考】春はすぐそこに

 Date:2014年02月26日10時30分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 冬がくるたびに腹を空かしていた若いころのことを思い出してしまう。定職に就くことができず、なんとかバイトで生活を凌いでいた時期があった。ジーパンのポケットに突っ込んでいたお金が底を尽いて飯代に困ることもあった。そんな境遇に漠然とした不安はあったが、楽天的な性質だったお蔭で将来のことをあまり頓着するようなことはなかった。まだ若かったということもあった。

 とは言うものの、寒空の下で空腹に耐えているときはさすがに気持ちが萎えた。普通にスーパーで買物をしている人たちや、食堂で飯を食っている人たちを見ているだけで疎外感を感じることがあった。みんなに備わっている生活力というものが自分にはないのかも知れないと思い、悲観することもあった。

 日雇い仕事の帰り道に鶏のから揚げを売る小さな店があったので、もらったばかりの日当の中から二、三個買ったことがあった。そのとき食べた旨さと温もりを何年経っても忘れることができない。それくらいおいしかったし、それくらい心が寂しく凍えていた。

 お金がなかったので彼女もいなかった。彼女はお金でつくるものではないが、珈琲一杯おごる余裕もない身では、やはりその資格がないように思われた。同じバイトで生活していた友人には彼女がいた。同じ市民運動をする同志だと言っていた。いくら冬が寒くても彼女がいれば平気でいられるに違いないと想像していたが、その暖かさの加減までは測りかねた。

 家々に灯る電気の明かりを見るのも辛かった。家に明かりが灯っているというだけで、どの家も幸せそうに見えたからだ。自室の裸電球を自分で点けても暖かい気分になることができなかった。人間は一人で生きて行くようにはプログラムされていないのだと思った。

 春の息吹が感じられるころになると、ほっとすることができた。寒さで硬くなっていた神経が溶け、溶ける勢いで勇気も湧いてきた。どこかに向かうという勇気ではなかったが、元気になれそうな気がした。また一年、なんとか生きていけそうな気がしていた。

 今年もその春がすぐそこまで来た。