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【街景寸考】祝儀、高過ぎないか
Date:2014年04月09日09時59分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
今は地味婚が時代の主流かと思いきや、派手婚もまだまだ健在である。どれが良いとか悪いとかいうことではない。お金がなければ地味婚でよいし、たくさんの友人、知人を招待して派手婚になればそれも大いに結構である。
自分の場合は分相応に地味婚で済ませた。済ませたと言えば罰があたりそうだ。費用のほとんどをカミさんの貯金に頼らざるを得なかったからだ。軽井沢の小さな教会で式を挙げ、近くのレストランで簡単な食事をしただけだったが、そのときの情景は結晶化されて脳裏におさまっているので忘れることはない。
さて本題はそのことではない。祝儀のことである。派手婚であれ地味婚であれ、招待されれば必要となる三万円の祝儀について一言ある。まだ稼ぎの少ない新郎新婦の友人たちにとってはあまりにも高額な相場であるに違いない。二十数年前の祝儀は確か二万円だった。その少し前までは一万円だった。もしかしたら相場を知らずに自分だけが一万円を包んでいた時期があったかも知れない。
この祝儀はバブル経済で相場が跳ね上がった。奇数の方が偶数よりいいという縁起担ぎが拍車をかけたのか、一気に三万円となった。バブル経済が弾け、この二十数年間、不動産価格や物価が下がり、給料が下がり、非正規雇用が急増してきたというのに依然祝儀は三万円のままである。経済は二十数年前から確実に縮小しているのに未だ三万円がまかり通っている。
最近、知り合いの若者に立て続けに三通も結婚披露宴の招待状が届いた。さすがに三通目の招待状のときは新郎新婦が債権の取り立て屋と重なって見えたと、複雑な心境をその若者は吐露していた。
本来、祝儀は神社やお寺への賽銭と同じであり、額の多寡ではないはずだ。それぞれが分相応に祝ってやるのが本来の祝儀ではないか。ここらで三万円を見直し、披露宴のあり方を若い人たちから創意工夫して変えてみたらどうか。定型化されない自由な結婚式があったてもよいように思う。多様化は大歓迎である。
そういえば、自分はまだ稼ぎが少ないからと、堂々と一万円の祝儀を包む若者がいた。いかにも正直で、潔く、小気味の良い若者である。