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【街景寸考】祖母と冷やご飯
Date:2014年04月23日09時46分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
「冷やご飯がまだ残っているので夕飯は炊かなくていいみたい」
夕食前にカミさんは炊飯器の中を覗きながら、まだ残っているご飯のことを「冷やご飯」という言い方をした。保温付き炊飯器なのでご飯は温かいはずであり、「冷やご飯」という言い方には多少違和感があった。
かまどでご飯を炊いていた時代、あるいは保温機能のない電気釜で炊いていた時代、朝炊いたご飯をおひつに入れ、夕飯までに空にするというのが庶民の食べ方だった。裕福な家庭では夕食時でもご飯を炊いていたのかもしれない。
木で作られたおひつの中にご飯を移すと水分が適度に吸収され、おいしさが増した。しかし、おいしく食べることができたのは朝ごはんのときだけであり、昼食時になると冷めて味が落ち、夕食時にはパサつきも加わった。
味が落ちたご飯のことを「冷飯」と呼ぶことがあった。当時、「冷飯を食わされる」という言い方があり、「冷遇される」という意味が込められていた。「冷飯」への評価はそれくらい低かった。
その冷飯とおひつが並ぶと必ず連想してしまうある情景がある。すでに亡くなっている祖母のことだ。祖母は夕食後、必ずおひつの中にお茶を注ぎ、しゃもじでこそいだ飯粒をそのまましゃもじですくって食べた。まだ小さかった私には、その光景が豪快に見えただけでなく、なんともおいしそうに見えた。仕舞いのところでは、顔の半分が隠れるくらいにおひつを傾け、口の中に流し込んだ。おひつを全部かぶれば「虚無僧」みたいになるなと思いながら眺めていた。
母は祖母のこうした行為を「はしたない」と言って責めた。いつか私も祖母のようにおひつごとお茶漬けを食べてみたいと思っていたので、祖母を叱る母を睨み、祖母の側に立っていた。結局、祖母はおひつを両手で持ち上げることができなくなるまで、この豪快なお茶漬けを食べ続けていたようだった。
カミさんが保温されているご飯のことを「冷やご飯」と言ったのは、炊き立てのご飯と区別して伝えたかっただけである。今、その「冷やご飯」さえあれば、漬物か何かで十分おいしい食事をすることができるようになった。そう思える歳になった。