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【街景寸考】傷を負った坑夫たち
Date:2014年05月14日09時53分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
陽が沈みかけて辺りが薄暗くなったころだった。突然サイレンの音が炭住街に鳴り響いた。繰り返し鳴り響くので、それが坑内で大きな事故が起きたことを知らせるサイレンだということは子どもの私にも直ぐわかった。
夕方の事故だから二番方で入抗した坑夫たちの安否が気遣われた。二番方とは午後四時から午前零時まで石炭を採掘する坑夫たちのことだ。時間的には二番方が入抗して直ぐの事故だということになる。
サイレンの音で炭住長屋から飛び出た女房たちが、坑口の方角へと駆けつけた。坑口に近い病院の広場で遊んでいた私も、仲間たちと坑口の方へと向かうことにした。途中で被災した坑夫たちを担架で運ぶ一群が見えた。三台の担架が連なっていた。
やはり落盤事故だった。担架で運ばれてきた坑夫の一人は、太ももが大きくザクロのように割れ、肉の谷間から血が勢いよく出ているのが見えた。顔を見たが、煤だらけだったので、知っている坑夫かどうかはわからなかった。「助けて。死にたくない」。抗夫は担架の上で繰り返しそう叫んでいた。救護班の男たちはただ無言で私たちの目の前を駆け抜けて行った。
産炭地でのこうした落盤事故は珍しいことではなく、脊髄を損傷し、歩くことができなくなった坑夫たちも大勢いた。田川市の田川病院にもこうした患者が大勢入院していた。彼らは長い入院生活を送りながら、刺繍や編み物をし、投げ網を編んだりして気を紛らせていた。将棋や囲碁をする者もいた。他の病室からも集まり、賑やかに花札をする光景も見られた。テレビで高校野球や大相撲の観戦を楽しみにしている者もいた。
そうして日常を楽しんでいるように見えた患者さんの一人が、突然自殺したことがあった。剃刀で首の頸動脈を切ったということだった。私が病院に行くといつも気さくに声をかけてくれていた患者さんだった。
この患者さんに近しい人たちは、自殺のきっかけになったことをあれこれ詮索していたが、なぜ自殺をしたのかという幹の部分については、あまり触れることはなかったように思う。石炭産業が斜陽化していた昭和35年ころのことである。