【街景寸考】失敗だった親孝行

 Date:2014年05月21日10時19分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 今年もGWはどこの行楽地にも行かなかった。行かないという確固たる意志があるわけではない。ただ毎年この時期が近づいてきても何も考えてないだけである。家族の強い希望があれば受けて立つ覚悟はしている。その家族も今はカミさんだけになった。カミさんは出不精ではないが、遠くの行楽地まで足を伸ばしたいという気持ちはなさそうだ。

 だいたい行楽に出かけても人ごみと道路の渋滞だけである。帰宅しても過労と虚脱感しかなく、「もう二度と行くものか」と後悔するばかりである。このことは行く前から百も承知なのに、数年に一回は勢いで行ってしまうことがある。

 8年前もそうだった。このときはカミさん方の両親に喜んでもらおうと、日帰りで阿蘇に行ってきた。その日は朝早く出発したつもりだったが、早くも大津の手前で渋滞にぶつかってしまった。大津までは予定どおりだったが、目の前に続く渋滞は予想外だった。

 今思えば、この時点で阿蘇行きをあきらめて引き返すべきだった。しかし、このときは阿蘇まで渋滞が続いているとは思うはずもなく、それにカミさんの両親を誘っての行楽が初めてだったということもあり、引き返すことなど思いもよらなかった。

 大津から先は普通に歩道を歩いている人から追い抜かれるという状態が続いた。追い抜かれるたびに深いため息をついた。途中、トイレに行くため付近の鉄道の駅舎を探し回り、用を足すとまた渋滞の流れに戻った。もはや車内の誰もが「楽しい行楽」とはほど遠い事態になっていることを受け止めざるを得なかった。

 阿蘇の町中に入ったのは昼食時をとっくに過ぎていた。行楽地に来たのだからバーベキュー料理あたりを考えていたが、そうした処に辿り着くには更に時間を要した。仕方なく普通の食堂に入り、かつ丼を食べた。両親たちにはもっと贅沢なものを食べるよう促したが、同じものしか食べなかった。

 苦労をして阿蘇まで来たのに草千里も大観望も内牧温泉にも行かなかった。車を降りたところは駅舎の便所と普通の食堂だけだった。カミさんの両親にとっては誠に気の毒な行楽日になった。9時間ほど車で軟禁してしまったような罪悪感もあった。

 ただ不思議なのは、このときの遠出も含めて後悔のGMがどれも懐かしい想い出になっているから妙な感じである。