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【街景寸考】パチンコ屋のこと
Date:2014年06月11日10時36分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
子どものころパチンコ屋に行くのが好きだった。パチンコをするのが好きだったわけではない。パチンコ屋の中に漂う大人たちの浪漫のようなものに漠然とした憧れがあった。大音量で流れる軍艦マーチや「ちん、じゃらじゃら」と鳴り響くパチンコ玉の音に気分が高揚した。店内に流れる歌謡曲の歌詞の中に入り込んで大人の気分を味わっていた。店内に浮かぶ濃い煙草の煙も、浪漫の構成要素のように思えた。
パチンコ屋に行くときはいつも叔父と一緒だった。叔父は、私が付いて来ても嫌な顔をしたことがなかった。そうかといって歓迎する風でもなかった。たまに「お前も来るか」と誘われることがあった。その意外性に胸が弾んだが、魚釣りや公園に連れて行ってもらうのとは性質が異なるので、子どもながら叔父の真意をはかり兼ねた。
叔父は結構パチンコで勝つことが多かった。パチンコ玉が下皿に溢れるくらい溜まると、一握りほどつかんで私にくれることがあった。私は大事にそれを持って、空いたパチンコ台に行き、玉を弾いた。パチンコ台を占領しているときの自分は、まるで一人前の大人になったように思い気分が舞い上がった。
当時のパチンコ台は、玉を一個ずつ入れてはレバーを弾くというものだった。今風の高速連射で玉が飛び出す台とは違い、ゆっくり楽しみながら遊ぶことができた(パチンコ屋の入場は十八歳未満禁止になっているが、当時は大人同伴であれば少しくらい子どもがパチンコをしていても大目に見てもらうことが多かった)。
パチンコ屋へのこうした憧れは小学校の高学年ころまでだった。大人になってからはすっかりその景色が変わって見えた。ただの索莫としたモノクロの博打場にしか映らなくなった。学生時代は学友に誘われて一時期出入りしたことはあったが、勝てばハンバーグ定食、負ければ即席ラーメンで済ますという程度の関わりでしかなかった。それでも夜床の中で目をつぶると、パチンコ台が鮮やかに現れては消えたりした。花札にのぼせていたころと同じ体験だった。
今でもパチンコ屋の夢を見ることがある。そのパチンコ屋は子どものころ見たパチンコ屋であり、モノクロではなくて色がある。まだ小さかったころの私自身の姿も映っていることもある。