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陽水の本当の呼び名は「アキミ」
Date:2012年04月17日10時30分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
小学校のころから勉強が大嫌いだった。高校時代になると全くと言っていいほど勉強をしなくなった。野球部に入っていたので、練習が終わって家に帰るとヘトヘトだったということも自身のいいわけにしていた。
文武両道というのは、よほど頭がよいか、身体が頑強にできている人にしか絶対無理だと思っていた。私はどちらも標準を下回っていたので、思いっきり勉強を捨て、身体を鍛える方へ専念することにした。高校3年間は本当にそのとおりに専念した。
歌手の井上陽水さんは同じ高校の一つ上の先輩だった。井上さんは、部活とは別に毎朝集まって遊んでいたバスケットボール仲間の一人だった。井上さんはランニングシュートが上手かった。一時期バレー部にいた井上さんは、ときどき部活前に野球部の部室に現れて私を促し、キャッチボールをすることがあった。明るく、人なつっこい性格で、先輩面を少しもするような人ではなかった。
音楽にあまり関心がなかった私は、井上さんが有名なシンガーソングライターになったことを世間より2年ほど遅れて知った。東京の大学に通っているときだった。そう言えば、井上さんは体育館の裏でよく2,3人の同級生とギターを抱えて歌っているところをときどき見ることがあった。ビートルズの曲だったように思う。
井上さんの、あの甘い、艶のある声色が、そのとき歌っていた声が原型になっていることを私の耳は記憶している。井上さんの同級生は、井上さんのことを「ヨウスイ」と呼び捨てしていたが、これは愛称であり、陽水と書いて「アキミ」と言うのが本当の呼び名である。私もそのことをずっと後で知った。
高校時代の私のことに話を戻せば、卒業が近くなっても将来のことを決めきらずにいた私は、半ばやけくそな気持ちで「大学にでも行こう」ということにした。担任にそのことを言うと「いまさらお前の受ける大学がどこにあるか」と叱られた。「金の卵」(高度経済成長を支える若年労働者)がもてはやされた時代だった。
結局、私は卒業後、高石ともやの「受験生ブルース」があちこちで流れる大都会・東京へ行き、まさにこの曲の中にある「砂をかむような」浪人生活を送ることになった。私たち世代のことを「団塊世代」と呼ばれるようになったのは、そのまもなくのことである。