【街景寸考】Kさんに感謝の合掌

 Date:2014年06月25日09時31分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 センター前にヒットを打って一塁に出た私は、ベンチからのサインを待った。監督は身振りを使わず目だけで「走れ」のサインを送ってきた。次のバッターに投げた一球目で私は二塁に向かって走った。盗塁には自信があった。しかしこのときはキャッチャーからタッチアウトのタイミングでボールが飛んできたのが視界に入った。やばいと思いスライディングの態勢に入ろうとしたとき、「グキッ」という鈍い音が耳の内側から聞こえたと思ったら勢いよく地面に倒れ込んだ。右足首辺りに激痛が走った。私は触るか触らないかのあんばいで手を患部に添えながら呻き、もがいた。

 「こりゃあ普通の痛さじゃないみたいですよ」とそばにいた相手チームの選手が両ベンチまで届くように声を張り上げた。その声を聞いてチームの仲間たちが私のところまで駆け寄ってきてベンチまで運んでくれた。右の足首は疼き、みるみる腫れ上がった。

 この日は試合が終わったら仕事で行橋まで行かなければならなかった。時計は午前十時半を回っていた。午後一時までには行橋に到着していなければならない。仲間たちは口をそろえて「仕事どころじゃないよ。直ぐに救急車を呼んだ方がいい」と言い出した。忠告はもっともだったが代わりのきく仕事ではなかったので聞き入れるわけにはいかなかった。

 すると、救急車を拒否しようとする私の様子を見ていたKさんが、「おんぶするから車まで行こう」と言って背中を差し出した。車が置いてある駐車場まで二百メートル弱あり、途中に急な坂があった。しかしKさんは一度も休まずに私をおぶって駐車場まで運んでくれたのだ。坂を登る前に一息ついてもらいたかったが、Kさんは息を荒げながらも「大丈夫、大丈夫」を繰り返しただけだった。この後は息子の運転で行橋へ行き、自宅に帰ったのは午後7時を過ぎていた。久留米の救急病院に行ったのはそれからだった。

 三年後、おんぶしてくれたKさんが亡くなった。肝臓がんだった。今でもときどき足首が痛むたびに、辛抱しながらおぶってくれたKさんのことを必ず思い出す。「Kさん、ありがとう。心の中で感謝の合掌です」。