【街景寸考】退院の日は曇天だった

 Date:2014年07月02日09時34分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 「かなり重症ですよ」。救急治療室で横たわる私を上から覗くようにして若い外科医はそう言った。野球の試合中に右足首を痛め、救急病院に運ばれたときのことである。右足首骨折と同靭帯断裂で全治1か月の診断だった。その診断を聞いて気持ちが萎えた。

 萎えた気持ちで入院一日目が過ぎたころ、肝心なことを忘れていたのに気付いた。仕事のことだ。今度の入院で野球が当分できなくなったことばかり悔やんでいて、仕事のことを忘れていたのだ。後日このことを話してカミさんや職場の同僚に笑いをとろうとしたが、少しもウケなかった。事実を知られて品格を下げただけだった。

 入院してから四日後に手術が行われた。ストレッチャーに乗せられて手術室に入ると、白や青の手術衣を着た医師や看護師が顔にマスクをかけたまま横一列に並んで出迎えてくれた。そのとき一斉に声をかけてもらったが、緊張していてどんな言葉だったのか思い出すことができないでいる。「ようこそ」とか「いらっしゃいませ」とかいうような印象だったが、あの場で私に発するにはおかしな言葉である。実のところは分からない。

 背中の真ん中に大きな麻酔注射を突き刺すことから手術は始まった。予想していたとおり歯を喰いしばって耐えなければならないほど痛かった。次に麻酔薬を吸わせるための呼吸器が口にかぶせられ、優しい口調で「数を数えて下さい」と言われた。言われたとおり数を数えたら5か6のところで記憶が途絶えた。

 麻酔から覚めたときは手術がすべて終わり、右足がギブスに納まっていた。あっという間に手術が行われたという感覚だった。しかし麻酔が切れてからの夜中は地獄だった。激痛が続き、眠れなかった。鎮痛剤を飲んでも治まらず、頭から蒲団を被って一晩中呻き続けた。

 病室は相部屋だった。ベッドの間隔が狭く、本来4床入るところを無理に6床にしているという感じだった。見舞客が来てもベッドの足元に立って見舞うしかなかった。夜中は6人の患者が争うようにいびきをかいた。熟睡できた者だけが勝者になった。遠慮構わずに屁をかます者がいた。発射の際にわざと腹に力を入れた屁だったので、大きな音になればなるほど自分の人格が無視された気がして傷ついた。

 病院内に長くいると自分が囚人のような存在のように思えて空しくなってきた。外の景色を眺めるたびに娑婆という二文字が浮かんできた。退院まで40数日間かかった。退院当日、外は意外にも重たそうな曇天がかぶさっていた。