【街景寸考】「水飲むとばてるぞ」

 Date:2014年07月09日09時36分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 「水飲むなよ。飲むとばてるぞ」。高校時代、野球部の練習中に先輩たちからくどいようにそう言われていた。夏の炎天下で昼から夕方まで毎日のように練習をしていたが、この間水を飲むことは許されなかった。練習終了後にトイレに行くと濃い赤茶け色の小便が出た。それが水分不足からきたものであり、水分不足による腎機能の低下によるものだと思ったが黙っていた。練習中に水を飲んだらなぜ良くないのか理由が分からなかったが、顧問や監督もそのことを否定しなかったので、先輩たちに従うしかなかった。

 その先輩たちに隠れて水を飲む機会があった。暑さでガチガチに硬くなったグランドに水を撒かなければならなくなったときだ。グランドが硬いままだとボールがイレギュラーするので夏場は必ず撒いた。その水撒きは私たち1年生が受け持たされた。内野全体が黒地になるまで水を撒かなければならなかった。

 監督からこの指示があったとき一年生部員は目を輝かせた。先輩たちはバケツを持って水道に向かう一年生の後ろから「飲むなよ」と叫んで圧力をかけた。他人の幸せを羨むような声の響きだった。それでも一年生は先輩たちに分からないよう必ず水を飲んだ。

 グランドの小さな窪みに溜まっていた雨水を飲んだこともあった。外野でノックを受けているときなど、腰を落として後ろ手でハンカチを水溜りに浸し、先輩たちの目を盗みながら口にくわえて雨水をチュパ、チュパと吸ったのだ。こうして実際水を飲んでいたが、飲んだからといって体調を崩すことは一度もなく、罰も当たらなかった。

 炎天下の練習中にこんなこともあった。体育館の補修工事に来ていた若い大工が私たちの練習を見ながらこう言ったのだ。「一円の稼ぎにもならないのに、このクソ暑い中をよくがんばるよなあ」と。汗をかいたら金になるという経済観念から出た言葉だった。ただ野球が好きで汗を流している自分とその大工の経済観念とが向かい合わさったことで、複雑な心境になったことを覚えている。

 今、部活の練習中に水分を補給するのはあたりまえになった。以前の誤った知識のために熱中症などで倒れた生徒は相当いたはずである。死んだ生徒もいたかもしれない。だが、関係者によってこの誤った知識がきちんと総括されたという事実を聞いたことがない。