【四字熟語の処世術】会者定離

 Date:2014年06月23日11時23分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任
「会者定離」(えしゃじょうり)



1ヶ月半、久しぶりの末娘との時間はあっという間に過ぎていった。会うは別れの始めと分かっているが、実際に別れの日を迎えるとその悲しさは理屈では収まりきれない。前回認めた諸行の無常なることを身を以て体験しているところだが、肉の身を持つものにとって真にこれらを理解するには苦しみが伴うものだとつくづく感じる。

我が師は「別れは人を強くする」と教えられたが、確かに2年ほど会わなかった娘が、すっかり自立成長し、いつの間にか教える身から教えられる身になっていたことを知らされ、一抹の寂しさはあるもののその成長に大きな喜びを感じている。

娘はカナダにあって主要都市を転々とし多くの人たちと交流することで心の成長をなしたように思う。彼女がこの2年間で出会った人たちは私の想像を遥かに超える。今またアメリカのシカゴに移った彼女が、これからどんな成長を遂げるのか、親として実に楽しみである。

会者定離…この世で出会った者には、必ず別れる時がくる運命にあり、この世や人生は無常であることのたとえだと辞書にはある。しかし、それもまた無常であるならば別れはまた出会いの始めでもあるのだろう。

人は人との出会いを繰り返しながら心を交流させ、精神的な成長を遂げていくのだと思う。別れという辛さ悲しさを乗り越えた後に、一段大きくなった自分が新たな出会いを演出し、次なる高まりへと導いていく。安穏とした生活の中には幸せを見つけることはあっても、人としての成長を望むのは難しいのかもしれない。辛さや悲しさ、そして苦しさを乗り越えてこそ、人は大きく成長するのだと思う。そうであれば、会者定離の無常の風に吹きさらされても、耐えて前に進む志を持ち続ける自分でありたいと思う。

とはいえ、今は放心してしまった自分自身を取り戻すのがやっとで、思うは易きも行うが如何に難きかを痛感するばかりである。