【街景寸考】三澤千代治さんのこと

 Date:2014年08月27日09時25分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 三澤千代治さんと一度だけお会いしたことがあった。20年くらい前のことだ。当時の私の上司と千代治さんが博多中洲で会食をすることになり、私もお付きの立場で同席させてもらったのだ。千代治さんにもお付きの方がいて、4名での会食だった。まだミサワホームが日本最大の住宅メーカーとして勢いがあったころだ。現在のミサワホームについてはほとんど知識を持ってない。

 会食の席で見た千代治さんは思いのほか小柄な人に見えた。終始、穏やかで柔和な表情をしている人だった。「やり手の実業家」に見られるような威圧感は感じられなかった。細めの顔にかかった眼鏡、真っ黒な頭髪、太い眉毛、それに少し大きめの鼻が特徴的だった。これらを強調するだけで、大抵の人が千代治さんの似顔絵を描けそうに思えた。

 4人が座敷に揃ったところで上司から手短に私が紹介された。紹介された私は千代治さんに名刺を出すため姿勢を正そうとしていたら、千代治さんのほうが素早く正座に足を組み替えて、「三澤です」と言って先に両手で名刺を差し出しながらペコリと頭を下げた。

 名刺の交換で後れをとった私は面食らった。面食らって正座の体勢を整えるのに手間取ってしまい、名刺を出すのが余計遅れてしまった。その間、千代治さんは目を細めて笑みを浮かべてくれていた。気さくで謙虚な人柄だという印象だった。単に頭を低くしているだけの人ではなかった。人を敬う心を持っている人だと思った。

 謙虚な人たちには共通点があるように思う。色々な人から精神性や知識を積極的に吸収しようとする姿勢である。人の人生はいずれも違うものだ。その違う人生の中から、人はたとえ年下の者であれ目下の者であれ、必ず何かを学ぶことができることを知っている人たちだった。

 反対に傲慢な人たちは、人を見下そうとする気持ちがあるので、他人から色々なことを吸収することができる姿勢にない。傲慢さが壁になっているので、周囲にいる人たちもそのことを指摘してやることができない。自分がそういう損な人生を送っているということに気付いてない人たちだ。

 4人の会食は、縁側に集まって西瓜を食べているような気分だった。