【街景寸考】三種の神器のこと

 Date:2014年09月17日09時28分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 初めて我が家にテレビが持ち込まれたのは昭和34年だ。小学4年生のときだった。そのころの庶民の最大の娯楽は映画だった。テレビを買うということは、その贅沢な映画を自分の家に居ながらにして楽しめるという、夢のような思いがあった。画面に映るものは何でも面白そうに見えた。特に、画面の中で力道山が空手チョップで外国人を倒したり、長嶋がホームランを打ったりすると、嬉しくて胸がはち切れそうになった。

 冷蔵庫が持ち込まれたときのことはあまり覚えてない。台所に置くようなものだから、子どもの自分とはあまり関係がないという思いがあった。冷蔵庫そのものの役割もあまり知らなかった。冷蔵庫があればいつもジュースを入れておくことができる、という話を友だちから聞いていたが、その意味が呑み込めなかった。ジュースは店に売っている冷たいジュースをそこで飲むものであり、そのジュースを飲まずに我慢して持ち帰り、わざわざ家の冷蔵庫になぜ入れなければならないのか分からなかった。ましてや何本かジュースを買いだめして冷蔵庫に入れておくような生活は、貧しい我が家では想定外のことだった。

 買ったころの冷蔵庫には、高菜漬けと瓶入りのインスタントコーヒーくらいしか入ってなかった。この状況は中学生のころまで続き、卵、ハム、肉・魚類、牛乳、生野菜などが家の冷蔵庫に入っていたのを見た記憶がない。その日に買った食材・食料はその日のうちに食べていたので、冷蔵庫の出番はほとんどないように思えた。当時、なぜ我が家に冷蔵庫が必要だったのかという疑問は分からないままである。冷蔵庫の中に瓶入りのインスタントコーヒーが入っていたことも分からないままである。

 それから数十年。今我が家の冷蔵庫はいつもはち切れんばかりである。冷蔵庫の大きさが当時の3倍ほどあるにもかかわらず、である。奥の方に何が入っているのか気になることがあるが、覗くことはない。否、覗けない。冷蔵庫はカミさんの絶対的管理下にあるので、亭主が検閲するような目で覗くことはとてもできない。

 昭和30年代、白黒テレビ・電気冷蔵庫・電気洗濯機は三種の神器と呼ばれていた。しかし、炭鉱町では洗濯機の普及が一番遅かったように思う。たらいと洗濯板があれば電気に頼らなくてもできたからだ。洗濯機が贅沢品だと思われていた所以である