【四字熟語の処世術】一喜一憂

 Date:2014年10月14日21時08分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任
 
 「息」という漢字は「自分の心」と書く。息は呼吸であり、一日に数えきれない回数を繰り返している。だから自分の心が日に数多変化して已まないのも当然と言えば当然である。
 考えてみれば、怒っている時にゆったりとした呼吸をするのは難しい。深呼吸しながら人を怒れるかどうか、試してみればすぐに分かる。反対に、心穏やかな時に荒げた呼吸をすることはない。実に安らいでいる時には穏やかな呼吸を、苛立っている時には短かな呼吸をしているのが常でなのである。長く穏やかな息は長生きの秘訣であり、短く粗い息は虫の息そのものである。

 さて、本日のテーマ「一喜一憂」だが、状況の変化など、ちょっとしたことで喜んだり不安になったりすること、周りの状況に振り回されることをいうと辞書にある。確かに、この四字熟語を良い意味で使うことはまずない。「そんなことで一喜一憂すべきではない」というような使い方が一般的だ。つまり、そうあってはならないという戒めの言葉で使われることが多い。

 しかし、人は悲しいくらいに一喜一憂するものである。事に臨み、心を不動にすることなど、そう易くできることではない。息するたびに変化を繰り返す人の心だけに、笑ったと思ったら、もう泣いているなんてことは少なくない。聞けば、道教や儒教、仏教の修道者は「調息」を以て修行の手始めとするらしい。当たり前に繰り返す呼吸がどれほど大切なことなのか、人の感情をもコントロールする息の調節を我々はあまりにも疎かにしてはいないだろうか。

 体の健康のためにも、心の健康のためにも、息を調節して心の乱れを沈め、出来るだけ事に臨んで一喜一憂することのない強い心を自分の物としたいものである。