「桜梅桃李」

 Date:2012年04月12日09時25分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任

桜の季節。満開の桜を愛でつつも一抹の不安が心を過ぎります。桜の花の咲く頃は、なぜか強い風雨に見舞われることが多いからです。せっかく開いた花びらも一夜にして散ってしまうことは珍しくありません。なんともやりきれない気持ちが生まれる瞬間です。
しかし、その桜の散り際の良さに、出処進退の潔さを感じてしまう自分もいます。この感覚こそが日本人的なのかと思ったりもします。


さて、我が恩師、周兆昌先生が生前最後のご講話会での事です。平成元年4月でした。聴講者の女性から渡された花束を見ながら、先生は「花の種類は違っていても、それぞれに精一杯咲いている。コスモスにはコスモスの、バラにはバラの美しさがある。人もまた自分に与えられた才を精一杯に咲かせたら良い」と。


SMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットしたのは、それから15年後の事です。作詞をした槇原敬之さんは「そうさ僕らは世界に一つだけの花。一人一人違う種を持つ。その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」と綴りました。


その歌詞を耳にしたとき、生前の師の言葉を思い出し、目頭が熱くなったのを今でも覚えています。


「桜梅桃李」(おうばいとうり)。桜には桜の、梅には梅の、桃には桃の、李には李の良さがある。梅が桜を羨むことはないし、桃が李を疎ましく思うこともない。それぞれが、それぞれの特質を存分に生かして咲いている。それで良いのだ、という意味です。


相対の世界に生きる私達は、いつも他と比較することで自分の立ち位置を確認しています。上下、遅速、優劣…しかし、その立ち位置は比べる対象が変わる毎に自分の心を騒がせます。まさに心の軸はぶれて、つかの間の喜びを悲しみの淵に、ひと時の安心を不安の闇の中へと導くのです。


私は私であることをしっかりと心に止めることが大切です。槇原さんは「世界に一つだけの花」の最後を「No.1にならなくてもいい。もともと特別なOnly 0ne」と締めくくっています。まさに、私達は世界に
ただ一つだけ咲く、私という名の一輪の華なのです。


散り始めた桜の花びらを見つめている今も、「汝は汝である」と師が私に語りかけてくれているようで、強く生きなくてはと自分を奮い立たせています。