【街景寸考】記者たちの品格

 Date:2014年10月22日08時50分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 現役時代、仕事の関係で新聞記者たちと接する機会があった。仕事で新しく始めた事業を記事にしてもらうときや、取材を受けたりしたときだ。彼らに対する印象は総じて良くなかった。横柄であり生意気だった。何度か記者会見場で事業内容を発表する機会があったが、そのたびに彼らの態度に呆れていた。両腕を組んだままふんぞり返り、メモさえ取ろうとしない者、机の上に左肘を付き、その手のひらに顔を乗せたまま、記事にする価値がないという表情を露骨に見せる者もいた。

 なぜ彼らがこうも揃いも揃って横柄な態度をとろうとするのか。まず、「記事に値するような中身なら書いてやる」という上から目線がある。自分のところの商品等を記事にしてもらいたい企業などが新聞社に頼み込むケースがあるからだ。数多く頼み込まれると、自分たちが偉くなったような錯覚をしてしまうようだ。自分たちが社会に大きな影響力を持つ側にいるという自負もある。彼らの顔をよく見ると、その横柄な表情に混じって下卑た灰汁(あく)のようなものが染み込んで見えることがあった。

 まだ彼らに共通していることがある。間違った記事を書いても謝らないことだ。訂正記事を載せることはあっても、謝罪はしない。記事を書くときは、書く前からすでに筋書を作っていて、その筋書が受ける見出しを付けようとする。その筋書や見出しに沿って取材をし、記事を書こうとするのだ。だから、ときどき事実が歪められた記事になったりする。

 昨今、朝日新聞で従軍慰安婦報道や「吉田調書」報道に誤報があったとして問題になった。池上彰さんの連載コラム「新聞ななめ読み」の掲載を見合わせ、直ぐに撤回するという醜態も演じた。これらの失態に社長が「遅きに失したお詫び」をしていたが、小生に言わせれば、こうした新聞社の問題体質が今まで報じられなかっただけのことである。「二度とこのような過ちを繰り返さないよう・・・」という言葉が空しく聞こえていただけである。権力者たちが失態のたびに繰り返してきたこの言葉を聞きたくはない。

 その昔、砒素公害のことを宮崎県の土呂久で取材していた新聞記者が、問題の重大さを知って記者を辞め、その後反公害闘争に身を投じたという話を聞いたことがあった。そう言えば彼も朝日新聞社の記者だった。