【四字熟語の処世術】敬天愛人

 Date:2014年10月27日11時54分 
 Category:文学・語学 
 SubCategory:四字熟語の処世術 
 Area:指定なし 
 Writer:遠道重任

 「敬天愛人」、天を敬い人を愛す…西郷隆盛の言葉として有名だが、彼はこの言葉を自身の修養の要とされたに違いない。南州翁遺訓には「道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ」とある。己に克って道(礼)に復ることは儒学の根本精神である。儒の道をバックボーンとされた南州翁だけに、天から与えられた使命を知り、その命に従うことを人生の指針とされたのであろう。

 天とは天地万物を創造し運行される方、自然あるいは神と呼ぶ人もいようが、何れにせよすべてを包含する畏敬の対象である。それは万物を慈しみ分け隔てなく愛する慈悲仁愛に満ちている。その天を敬い、その天に倣い、自身をして人に対し分け隔てなく愛を以て接することを修身の課題として生きておられたのだと思う。

 天を敬うという時、それは自分の身に起こるすべての事ごとを受け入れる覚悟が必要である。自身の成長のために用意されたこの世界で、目の前に現れる事象は越えなければならないハードルである。くぐり抜ける事も可能ではあろうが、それでは決して自身の成長には繋がらない。天が置かれたハードルである故に、決して飛び越える事ができないハードルではない。自身の知恵を駆使し、勇気を奮って飛び越えれば、必ず越える事ができるハードルなのである。

 置かれたハードルが自身の成長のための物である以上、それを用意してくださった天にはただただ感謝するのみである。天を敬うとき、それはすべてに感謝の念を表するときでもある。不平や不満、憎悪などの念はおよそ「敬天」の二文字にはほど遠い。だが、幸せな時に天に感謝するのは誰もが易くできるが、苦しみに満ちている時に天に感謝する事はそう容易なことではない。故に己に克って礼(道)に復らなければならないのである。

 天に倣い、天が万物を慈しまれるように自分も人を分け隔てなく愛することを終生の課題とされた南州翁の生き様は、今の日本人の多くが学ばなくてはならない道ではなかろうか。

 余談ではあるが、実はこの「敬天愛人」という言葉は、かのモンゴル帝国の太祖チンギスハンが西アジアへの遠征中、治国の法、不老不死の道を尋ねるために全真教団の道士、邱長春真人を招いた時の言葉である。真人が「天下を統一したいならば必ず殺戮を戒めるにあり」と諌められたのに対し、「これを治めるには如何にすればよいのか」との問いに、「以て敬天愛人を本と為すべきです」と答えられ、それ以後の殺戮を止めさせた事で知られている。