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【街景寸考】「あんた、この土地の顔やわ」
Date:2014年11月12日09時34分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
自分の先祖が地域や社会のために立派な足跡を残してきた家柄であれば、当代の子孫は自分のルーツを知ろうと思えばいつでも知ることができる。小生の場合はそうはいかない。祖父母の代から流浪の民みたいなものだから、それ以前の先祖のことは足跡も痕跡も何もない。せめて幕末くらいまでの先祖を知ってみたい気はあるが、辿りようがなかった。学生時代まで自分の先祖のことをそう思っていた。
ところが20代半ばのころ、叔母の法事で母と一緒に金沢市へ行く機会があり、ついでに母の生まれ故郷へ行ってみようということになった。石川県能美郡(現在の能美市)辰口町鍋谷という山里に母の故郷はあった。母方の祖父と祖母の故郷でもあった。
祖母が生きていたころ、鍋谷の思い出話をするたびに、「雪に埋もれて暮らすのはもうこりごり。二度と行きたくない」と言って顔を歪めていた。その鍋谷でまだ元気に暮らしているという祖父の義理姉を訪ねた。103歳(当時)になる彼女は、山から戻ったばかりだと言いながら野良着のまま応対に出た。
鍋谷の集落は東西に1キロほど横たわり、集落に沿って北側に山々が迫り、南側には谷川が流れていた。戦国時代なら外敵から守る要塞になる地勢である。集落の家々は白壁で造られ、どの家にも土蔵が備えられていた。どの土蔵にも家紋が刻まれていた。九州の山間部では見たことのない風景だった。
途中、70歳過ぎの農夫に道を尋ねたときだった。彼は目的地までの道を丁寧に教えてくれた後、じっと小生の顔を見てからこう言った。「あんた、この土地の顔やわ」と。思いがけない言葉を率直に言われたので少々驚いたが、見知らぬ土地で見知らぬ者からそう言われて、少しだけ先祖と繋がったような気分になった。
後年、鍋谷のことをネットで検索したことがあった。そこには、真宗の門徒たちが一揆を起こしたとして織田信長から強制移住させられた地であるということが記載されていた。そう言えば、「鍋谷の人たちは信心深い人たちが多かった」と母がよく言っていた。それに祖母は毎夜床に就くと、「なんまんだ、なんまんだ、あーぁもったいねぇ」を必ず3度ほど繰り返して眠りについていた。このことを門徒の末裔であるという証明にするつもりはないが、事実であってほしいという願望を密かに抱き続けている。